第41回の報告
2026年10月3日(土)


第41回の要約
この会は、信仰に根ざした高齢者たちの生活と希望について話し合うための月次ミーティングです。今回は、小川吾朗さんが「希望」をテーマに講演しました(参加者16名)。御言葉ローマ書5章3-5節の聖書の言葉を通じて「患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、最終的に希望を生み出す」という教えについて説明しました。
途中、参加者はグループに分かれ、過去の希望、現在の希望、そして将来の希望について話し合い、各自の個人的な経験と証を共有しました。
会の最後に、世話人の星野が「希望の金鉱探し」に関する今後の計画について提案しました。それは来年3回の会を通じて、継続的な分かち合いを行うことであり、具体的には今後「世話人会」が検討することになりました。

小川 吾朗

メメント・モリ(memento mori)とは、ラテン語で「死を想え」「死を忘れるな」を意味する ことばで,人は「必ず死ぬ存在であることを心に留めよ」という人生への深い問いかけです
①「メメント・モリの祝福」Ⅱ
9月、主にあるみんさまとの豊かな学びと分かち合いの時が与えられたことを心から感謝しております。みなさんの課題に対する丁重な応答から、多くの事に気づかされ、とても励まされました。ありがとうございました。
ご存じのように、世界一の超高齢社会日本は、これまた、誕生する命の倍以上が死んでゆく「多死社会」でもあります。私の住む宇都宮では家族葬用の小さな会場が「コンビニ」のようにふえています。高齢者の会話の中身は病気や健康維持のお話、インフレによる生活防衛の話などで、「希望」について話し合っている様子を見ることはありません。こうした中、「希望の証人」として私たち高齢キリスト者の在り方を、いっしょに模索してみましょう。

② メメント・モリと三我一体の希望
今回の分かち合いを通し、私が期待し、祈っていることは私たち一人一人が、人の思いを遙かに超えた豊かで、失望させられることのない希望を信仰によって受け取ることできるように変えられること。
さらに、主の愛に生きる「圧倒的勝利者」(ロマ8:37)として、感謝、喜びに溢れ、賛美しつつ、いつまでも主とともに歩む楽しさを味わう新たな機会となることです。
この会の終わりに、ひとつの提案をさせていただきます。それは、2027年の一年間を用いて「2027メメント・モリ希望校」を開校することです。みなさんの感想を後で聞かせしていただければ幸いです

③ 艱難、試練を通し知った希望についての証
私たち高齢者は、それぞれが通った試練の道を、ロマ5:3-5のみことばをとおして振り返るとき、「試練と希望」の関係が新たに見えてくるのではないでしょうか。
「そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、 忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。 この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」
・・・このみことばは、老いの重荷、病の重荷の中に「希望という神の愛」が私たちに豊かに注がれていることを確信させてくれます。
こうした「希望物語」「神の愛の物語」をここにおられるみなさん全員ができろ証持っておられることでしょう。そうした、神の愛による「圧倒的勝利者」の証の機会を設けて、あなただけが語ることができる唯一無二の物語を是非お聞かせください。なぜなら、あなたのために記録されたイエスの愛のあかしは、伝えられるために御霊によって「いのちの書」に記録されたからです。
そういうわけで、今回、私の友人の疋田浩之さんの物語を紹介しましょう。彼とは30数年の長いお付き合いをしておりますが、私は彼ほど次から次へと試練に会いながらも、立ち上がって来られた人をあまり知りません。なぜ、こんなにも次から次へと試みられるのか、私にはよくわかりません。分かっていることは、神の愛が絶えず彼に注がれており、主の栄光のために、キリストは特別なご計画をもっておられるということだけです。
証 疋田浩之:
神様に出会ってから35年が過ぎました。神様に出会う前は、時が来ると実がなりその葉は枯れないという感じで順風満帆な人生を送っていました。しかし、会社からハワイに留学させてもらい、そこで神様に出会ってから人生が一転しました。
ハワイでは、ホームスティ先がクリスチャンの家庭であり、誘われて教会に行きました。しかし、初めて教会に行った日の夕方に、事故に遭い、左手は骨折し、顎もパックリ割れ、顔から足まで傷だらけになりました。帰国後、開発部門からいきなり営業部門に異動となり大きなショックを味わいました。
その後、神様にクリスチャン女性との結婚に導かれるように、長い間、祈りました。そして、念願が叶い、クリスチャン女性との結婚へと導かれました。この女性を私の命に代えても一生守っていこうと神様に誓いました。しかし、結婚の直前に結婚が無くなってしまいました。目の前が真っ暗になり、人生に絶望し、生きているのがやっとでした。
クリスチャンになった弟の死もあり、大きな失望も味わいました。悪徳のマンション管理会社により一世帯あたり数百万円の負債の危機もありました。大量の血も吐きました。
5人の医師に診てもらいましたが、5人の医師から治療法が無いと宣告されました。
時代劇やドラマで、ハンカチにちょっと血痰が付いたくらいでも、2~3年後には亡
くなっています。私は血を大量に吐いているので、1年も生きられないと絶望状態で死も覚悟しました。そんな時、必死で読んでいた聖書から、次の御言葉が与えられました。
「わたしがあなたのそばを通りかかったとき、あなたが自分の血の中でもがいている
のを見て、血に染まっているあなたに、『生きよ』と言い、血に染まっているあなた
に、くり返して、『生きよ』と言った。(エゼキエル書16:6)」血を吐きつつ苦しみもがいている私に、くり返し、『生きよ』と2度も語って下さいました。
まさしく、私に語られた御言葉でした。この御言葉により、私は、まだ死なない、生
きることができることを確信しました。私の思考は、この御言葉により、死から生き
ることに完全に変わりました。神様はどん底の私に、このような御言葉も用意してい
て下さいました。神様は凄いとしか言いようがありません。
仕事をしながら、突然に倒れた父のケアに加え、要介護の母のケアもありました。聖書のヨブ記のように、親しい友人からの突然の攻撃も経験しました。他にも、何でこんな事がというほど、いっぱい苦しみに遭いました。何度、もうダメだ。今回は、自分の人生も終わりかもしれないと思ったことでしょう。しかし、主はいつもギリギリのところで、私を助け続けて下さいました。
「患難さえも喜んでいます。患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出
し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです(ローマ5:3)」
これらの患難人生を通して、主に従い続けている限り、主はいつも私を助けて下さる
ことを学びました。今、どんな時でも大丈夫という大丈夫人生を歩んでいます。
患難が来ると喜ぶところまでは達していませんので、一旦は、打ちのめされますが、
その後、大丈夫、きっと神様が助けて下さるという希望・期待・力が与えられます。
「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを
学びました(詩篇119:71)」
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疋田さんは、私の最近の様子を知って、このように励ましてくれました。「20年ほど、私の先を歩まれている小川さんに出会えたことも主の導きです。いつも小川さんの歩みには、励まされています。これからも、施設の光となって輝いて下さい。お祈りしています。」と。
今回彼とのやりとりで感じた二つの嬉しい変化に気づかされました。
一つは、①今、どんな時でも大丈夫という大丈夫人生を歩んでいる。彼の新しいアイデンティティの力強さ知りました。
もうひとつは②試練の中にいる者を「これからも、施設の光となって輝いて下さい。お祈りしています。」と励ます者、とりなす人と変えられていることでした。素晴らしい主の愛のわざではないでしょうか。

④ 私が今、「希望」について確信をもって言えること
「希望はいつもともにあり、私を見放さず、見捨てない」ということです
では、希望を求めて人はどこへいけばいいのでしょうか。
「希望という名の方」のもとへ。その方の名は「イエス」!
イエスは「希望」を届けようと、きのうも、きょうもいつまでも、私たちの心のドアを叩いて
くれています。
黙3:20
「見よ、わたしは戸の外に立ってたたいている。だれでも、わたしの声を聞いて戸を開ける
なら、わたしはその人のところに入って彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事を
する。」
ヘブル13;8
「イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも同じです。」

⑤「希望」という方の名 その名は「イエス」
確信1 「イエス」は「私たちの希望」です!
1)「失望に終わることのない希望」ロマ5:5とは「イエス・キリスト」のこと
なぜなら、「彼(イエス)に信頼する者は失望させられることはない。」(ロマ10:11)か
らです。
2)「いつも私とともにあり、私を見放さず、見捨てない希望」とはイエス・キリストのこと
なぜなら、イエスが「わたしは決してあなたを離れず、あなたを捨てない。」(ヘブル13:
5)と言われ、このお方は「きのうもきょうも、いつまでも同じ」(ヘブル13:8)愛のお
方であるからです。
確信2 すべての人に「希望」を通して「イエス」との出会いの機会がある。
1)「希望」は共通基盤:ひとびとが好む「テーマ」です。救いのドア。
2)「単なる希望」(1コリ15:19)から「さらにすぐれた希望」(ヘブル7:19)へ、そして
ついに「失望に終わらない希望」(ロマ5:5)へとたどり着くのです。希望が高ければ、
信仰も増し、愛が溢れるのです。(1コリ13:13)

⑥「三我一体」の信仰生活:イエスの教え
「ラザロの死」を通しイエスが教えている「三我一体」の信仰生活とは何か・・・
それは人生の「過去」「今」「将来」を区別する境界線はなく、常に「きのうの私」「きょうの私」「あすの私」を「ひとつの私」として生き、同じ希望をともにをしている。
1.「三我一体」の信仰について:ヨハネ11章のラザロのよみがえりの出来事を通し、
イエスは私たち神を信じる者に「信仰の飛躍」への目覚めを促しています。
1)イエスがベタニヤ訪問を遅らせた理由:マルタ、マリヤに「信仰の飛躍」をもたらすた
め、イエスはラザロのいやしの要請を断った。いやしの要請に応じることは、イエスが意図
された「信仰の飛躍」を促すことにならないから。
2)マルタは何を信じ、何を信じられなかったのか、理由:終わりの時に、すべての約束は成就
すると信じていたが・・・ 4日も経ち、すでに腐敗しているラザロのよみがえりは無理と
判断していた。
マルタは、目の前の事実に感情的にも振り回されていた。イエスが「ラザロはよみがえりま
す。」と言われているのに、「もう臭くなっておりましょう。四日目になりますから。」と言って
信じなかった。これは、私たち誰もが陥りやすい信仰生活の危機だ。ところが、「望みえない
ときに望みをいだいて信じました。」ロマ4:18というアブラハムの信仰に倣う方もいる。
疋田さんの証にも見られるように、信仰によって救われたのに、それまでの順風満帆な生活が
まるで呪われたような生活に反転。普通なら、信仰の破綻に逢ってしまうところが、反対に信
仰を増して、人々を祝福する人となっている。私には今も悲しい思い出がある。共に主のため
に学生宣教に用いられ主に用いられた人が自分の病が癒されないと言って信仰から離れた人。
「マルタのつまずき」 に対して 「信仰の飛躍」を求めたイエス。
「もしあなたが信じるなら、神の栄光を見ると言ったではありませんか。」ヨハネ14:40
「イエスの霊の憤り」と「イエスが流された涙」は、その場が霊的戦いの場であったことと、
イエスの愛とあれみが「圧倒的勝利」をもたらしたことを証しています。
3)イエスの祈り(ヨハネ11;40-45)は、私たちが見倣うべき「信仰の飛躍」による勝利の模範です。マルコ11:22-24の信仰の祈りの模範です。

⑦ 信仰の飛躍
「三我一体」人生から新たに「希望」を知り、その「希望に生きる」ことで、信仰生活に「飛躍」がもたらせられる。
「三我一体」人生の祈りの例 マルコ11:22-24 参照ヨハネ11:40-43
「神を信じなさい。まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海に入れ』と言って、心の中で疑わず。ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。
だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。
そうすれば、そのとおりになります。
私の膠原病はこの「山を動かす」祈りによって、癒されました。しかし、いま振り返ると、これが私の「信仰の飛躍」への小さな一歩に過ぎなかったと考えている。
<ここから私たちに「信仰の飛躍」を促す三我一体の私たちに約束されている「希望の金鉱探し」に行きましょう。>

⑧ 希望の金鉱探し(1)〜「きのうの私」が見出した「希望」
「きのうまでの私を支えてくれた希望のみことば」を思い出そう!
何ひとつれ忘れないで! その約束は「きょうの私の希望」でもあるから
《話し合い》 詩篇103:1-5から支え続けてくれた希望、
いまも、これからも希望である約束を確認しよう。
わがたましいよ。【主】をほめたたえよ。
私のうちにあるすべてのものよ。
聖なる御名をほめたたえよ。
わがたましいよ。【主】をほめたたえよ。
主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。
主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、
あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、
あなたの一生を良いもので満たされる。
あなたの若さは、鷲のように、新しくなる。」
2コリント5:17の希望は、これまで私たちに何を確信させてくれましたか。
「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは
過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」

⑨ 希望の金鉱探し(2) 〜 あすの私が受ける「希望」は何?
《話し合い》
1)ピリピ3:21から明日の希望をみつけよう!
「キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだ
を、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。」
2) 《話し合い》 :約束の「新天新地」での希望を確認しよう!
黙示21:1「私は新しい天と地を見た。」
*「い・や・さ・かの祝福」の希望も確認しましょう!
「い」:いのちの「い」 ヨ11;25、
「や」やすらぎの「や} 黙示14:11
「さ」再会の「さ」 エペソ3:15、
「か」は完成の「か」 ピリピ1:6

⑩ 希望のメガバンクの総資産の確認(3)〜「きょうの私」が見出す希望は「何」?
《話し合いの課題》
・ルカ23:43 私たちに与えられている希望を確認し、その意味を分かち合いましょう。
「イエスは、彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。
あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」
・きょうの希望の総資産=きのうの希望+あすの希望
Hope:神の国(エペソ2:5-6) < Step:パラダイス < Jump:新天新地
・ルカ4:21 の希望を確認しましょう。
「きょう、聖書のこのみことばが、あなたがたが聞いたとおり実現しました。」
*希望実現
イザヤ61:1-3
「神である主の霊がわたしの上にある。貧しい人に良い知らせを伝えるため、心の傷つ
いた者を癒やすため、主はわたしに油を注ぎ、わたしを遣わされた。捕らわれ人には
解放を、囚人には釈放を告げ、主の恵みの年、われらの神の復讐の日を告げ、すべて
の嘆き悲しむ者を慰めるために。
シオンの嘆き悲しむ者たちに、灰の代わりに頭の飾りを、嘆きの代わりに喜びの油
を、憂いの心の代わりに賛美の外套を着けさせるために。彼らは、義の樫の木、栄光
を現す、主の植木と呼ばれる。」

グループ分けでの話し合い
⑪ 「三我一体の希望」を日常生活で適応してみよう
1)大きな手術を1ヶ月後に臨むもうとしているとき:こどもたちへの接し方についての証
2)ホスピスにいる難病の友人、コミュニケーションはもはや不可能になっている友のために
お祈りする時の証
3) 大学生の孫に、自分が死んで遺骨がつぼに納められる時、私のことをどう思ってほしいと
伝えた証
4)日々老いと病の重荷が増す時、「い・や・さ・か」吾朗と祈りの対話を試みる私
5)認知症になった母親への思いの証

⑫ 希望は御霊の風に吹かれ賛美のうちに広がってゆく
詩篇34:1-3
私はあらゆるときに主をほめたたえる。
私の口にはいつも主への賛美がある。
私のたましいは主を誇る。
貧しい者はそれを聞いて喜ぶ。
私とともに主をほめよ。
*「希望について聞かれた場合」の対応
1ペテロ3:15、16・・・いつでも、誰に対しても対応できる準備をしておく。
むしろ、心の中でキリストを主とし、聖なる方としなさい。あなたがたのうちにある
希望について説明を求める人には、だれにでも、いつでも弁明できる用意をしていな
さい。
ただし、柔和な心で、恐れつつ、健全な良心をもって弁明しなさい。そうすれば、キ
リストにあるあなたがたの善良な生き方をののしっている人たちが、あなたがたを悪
く言ったことを恥じるでしょう。
証:ケアする者、ケアされる者との対話の内におられるイエスと御霊の導き
*ケアマネジャーとの対話:「メメント・モリ」の意味、死に対する私たちの考え、死は益
*スピーチセラピストとの対話:「メメント・モリ」と希望、三我一体と希望
*デーサービスの所長:「幸福とは」
提 案

⑬ 提案:メメント・モリ希望校の開設
〜今後、世話人会で検討し、2027年の年度計画に取り込むことを検討します
・年3回のZOOM会
・目的:三我一体の希望をもって生きる楽しさと驚き満載の分かち合い
・内容
1. 「年間優先順位」の経過報告の証
2. 「希望のメガバンク」の資産運営の報告の証
発見、適応、広がり・・・・
3. 課題「ポール・ゴーギャンの宿題」の経過報告
アイデンティティの変化と成長の証
「我々はどこから来たのか。我々は何者か。我々はどこへ行くのか。」の証提出
をもって卒業。
感 謝

⑭ 分かち合いを通して、与えられた感謝と喜びと賛美
「メメント・モリの祝福」について、二回の分かち合いを通して、みなさんと共有させていた
だいた感謝と喜びと賛美、そして楽しさと今後への期待・・・
① 80代バイブルサロンは 私のかけがえにない「交わりの場」になったこと:心から分かち合い
ができる場がシニアの人々に必要であるとの認識を深めた事:「感謝」
② そのために私の希望であるイエスさまとの交わりを深化させていく思いが強められた。
「信仰、希望、愛」の深化:「喜び」
③ 84歳の優先順位を御霊に導かれて楽しむ事:「賛美」
本当にありがとうございました!
シャローム
小川吾朗

