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第40回の報告

​2026年9月5日(土)
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​小川 吾朗

「メメント・モリ」の祝福

今回、みなさんに最近の私の現状と学びを分かち合う機会が与えられたことを喜んでいます。しかし、幾度も躊躇しました。それでも、私の「ありのまま」を伝えることが 80 代バイブル・サロンのテーマ「有終の美」に相応しいと思いましたので、今なお続いている学びを9月と 10 月の二度に分けてシェアーさせていただきます。

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  メメント・モリ(memento mori)とは、ラテン語で「死を想え」「死を忘れるな」を意味することば、で人は「必ず死ぬ存在であることを心に留めよ」という人生への深い問いかけです。

「 死について語る」ことは、私たち日本の文化では「縁起でもないこと」として遠ざけられてきましたが、日本の超高齢化社会(高齢化率 28.9%)は、すでに本格的な「多死社会」に移っています。

 死は日常生活の真ん中に居座っています。生まれる子供の数の倍以上(160.5 万人 24 年度)が、毎年死亡しています。。死は私たちにとって避けられない最も身近にあるテーマです。

 「死は益である」(ピリピ 1:21)と捉えるか「死は空しい」と捉えるかで生きる意味が全く異なります。ここに 「メメント・モリ」を語り合い、深めていく意義があります。

  私はこれまで「メメント・モリ」を個人のテーマとしてきましたが、これからは「夫婦二人のメメント・モリ」であり、家族、兄弟、親族の「メメント・モリ」として考え、ともに「しっかりと希望を告白」しつつ歩みたいと願っています。
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1.「メメント・モリ」と優先順位

 では、私が自分に残された日々が少なくなったと感じるこの時期「自分の死を思え」と自分に語りかける理由はどこにあるのでしょうか。それは私を召された主の栄光のため、本当に大事なこととは何かを知り、そのことに心を注ぐためでした。そうした中、・・・

  「三つ優先」が今私に示されています。

   ① 妻と子供達と兄弟、親族と共に歩んだ「人生への感謝」を主に捧げること

   ② 主のみこころを行うため、出会った友人、同労者への感謝に感謝し、とりなしすること

   ③ 今回示された「希望の伝道者」としての使命を喜び、楽しむ道を隣人と共に歩み続けること

あなたにも示された優先順位があるなら、分かち合いの時に教えてください。

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2.「最上のわざ」からの学び

もし、人が心の琴線にふれる「ことば」に出会うなら、その人は豊かな霊的成長のきっかけをつかむことが出来るでしょう。「最上のわざ」の詩は、私の黙想の日々に私のたましいに触れ、私を導き、支えてくれています。 まずは、この詩をゆっくり読んでみましょう。

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1-まずは私の近況の証からお話します。

   私はパーキンソン病 10 年目になります。歩行困難、背中は曲がり、老人らしく杖をつき、歩行器を使いながらゆっくりと歩きます。散歩中につまずき、転んだ時、アップルウォッチがその衝撃に反応し、救急センターから「どうされましたか」と聞かれたことが二度ありました。幸に大事に至りませんでした。ヨロヨロしながら今でも歩くことができること感謝しています。

 

 不自由でも、なおコミュニケーションができる幸せをも感謝しています。

会話はなんとかできます。でも、耳が遠い方との会話にはやさしさと忍耐が試されます。

わが家では、妻が難聴気味ですので、外部の方が私たちの話し合い見たら夫婦喧嘩をはじめたかのように見える時もしばしばです。パソコンのキーボードを指一本でたたいて、「ハーベスト 938 通信」を配信できる喜びを味わっています。

 

 動作は超スローですが一人で着替え、入浴でき、家の掃除、食事の後片付けもこなし、同じように難病の妻の負担を軽くします。一日も多く、妻とともに過ごすためにです。

私一人のメメント・モリではなく、「二人のメメント・モリ」の方が現実をよく伝えています。

 

スローな生活を超スローにさせるのは、一度動作が止まるとからだが強張り、固まってしまうから。 ところが、このお蔭で、心の内に蓄えられている聖書のみことばが私のたましいを慰め、神との豊かな祈りの対話へ導いてくれるのです。

 

 こんな私が今導かれているところが、要支援の高齢者のための施設、ショートステイです。私は、主が導かれたこの新しい交わりを新たな出会いの場として、受け入れ、お一人ひとりをリスペクトし、共に主の祝福をいただきたいと願っています。「メメント・モリ」の黙想を深める新たな冒険がはじまっています。

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2ー「最上のわざ」から教えられた詩人の「生き方」について

① 最初にでてくる「楽しい心で年をとり」

 私もまた「楽しい心で年をとりたい」と願っています。ところで「楽しい心」ってどんな心でしょうか?私は詩篇 90 の「モーゼの祈り」からヒントをいただきました。詩篇 90:14-17 をお読みします。

 

 「朝ごとにあなたの恵みで私たちを満ち足らせてください。 私たちのすべての日に喜び歌い楽しむことができるように。どうか喜ばせて(楽しませて:新改訳第三版)ください。

私たちが苦しめられた日々とわざわいにあった年月に応じて。

みわざをあなたのしもべらに ご威光を彼らの子らの上に現してください。私たちの神 主の慈愛が私たちの上にありますように。

私たちのために 私たちの手のわざを確かなものにしてください。どうか 私たちの手のわざを確かなものにしてください。」

 

 モーゼは、主が彼にゆだねた「律法」によってイスラエルの民を導くために、彼が受けた苦難の日々を振り返りつつ、その年月に応じて「楽しませてください」と繰り返し願います。その思いは異なった表現で二度繰り返されます。それは、彼にゆだねられた「手のわざ」が「確かなもの」されることでした。くりかえしされたことから、自分に与えられた「使命の成就」を強く主に願っていることが分かります。

(モーゼは後に「イエスの山上の変貌」の際、律法の完成者であるイエスにお会いし、手のわざの成就を見て、喜んだことでしょう、)

 

 「楽しい心で年を取りたい」と私もそう強く願っています。それは、私のこれまで60年に及ぶ「手のわざ」である「弟子づくり宣教」(マタイ 28:19)の人生が、主の約束通り(ヨハネ 15:16)確かなものとさせていただいていることを感謝しております。

②二番目のことば;「失望しそうなときに希望する」こと

  人生の先にある「約束の希望」を信仰によって受け取っている人にとって、「老いの重荷は神の賜物」!と大胆に言い切れるものです。私もやっと「老いの重荷は神の賜物」、恵みである、と告白できるようになりました。それは、30 年に及ぶ難病経験を通して「失望することのない希望、必ず実現する希望」が私の心の王座にどかっと置かれていることを知ったからです。ロマ 5:3-5 はこう語っています。

 

「そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」

 

年齢を重ねながら、さまざまな試練を通され、主の愛、御霊の導きに従い続けることを決意されている信仰者(御霊によって練られた品性)の先には、失望に終わることのない希望が待っているのです。失望を希望に変えてくださる御霊の導き、キリストの愛を信じている人々は幸いです。

 

(証)今、私は毎週二か所のデーサービスで半日のリハビリを受けています。そこで、マッサージを受けながら理学療法士の方々とよくおしゃべりします。彼らも変わり者の私と短い会話を楽しんでいるようです。ある時、一人の理学療法士の方が、「僕は多くの老人のリハビリを手助けさせていただいていますが、老いについて、希望をもって楽しそうに話しているのは小川さんだけですよ。」と話し、彼はこう付け加えました。「99、9%いない。いや小川さんだけですよ」とまじめに教えてくれました。彼によると、ほとんどの方々が「老後の人生に希望はない、諦めるしかない」と思っている、と。・・・これが私の「使命感」に火をつけたのです。これからもっと、分かりやすく人々に「希望」を語る働き人「希望の伝道者」にさせていただきたい、と新たに決意したのです。」

 

③三番目ことば:人のために働くよりも、謙虚に人の世話になる

 最近の私の内なる問いは、自分が何も出来なくなって、すべて人のお世話になってゆく姿を自分が受け入れられることが出来るだろうか、という問い。人は裸で生まれ、裸で帰ってゆく。何もできない赤ちゃんはそのゆだねきった姿で、親家族に愛され、世話され、喜びの中心にいて、人々に愛を教えている。

 一方、私は衰えてゆく裸を、謙虚に人にゆだね、家族や人々に感謝しつつお世話になる。ゆだねきった私は、最期まで確信を抱き、「希望」を伝えることができるだろうか。こうした問いを投げかけながら「メメント•モリ」しつつ、過ごしている私です。

*みなさんの考えもお聞きしたいです。

 

④四番目のことば:「神は最後にいちばんよい仕事を残してくださる。それは祈り

         だ」与えられた使命を走り抜くための「最上のわざ」祈り!

(証) 私は毎週火・水とショートステイ先の食堂で 15,6 名の高齢者の皆さんにお会いします。そこに座って皆さんを見ていると、悲しそうで、寂しそうな「無力感」をその場に感じてしまうのです。その場の雰囲気に私も飲み込まれそうになります。その場から「人生は無意味」「この先、人生に希望なし」の声なきメッセージが津波のように押し寄せくるように感じ、「希望について語る気力」が私の内から消えゆきそうになるのです。すると、御霊が私に「わたしは希望を伝えるためにあなたをここに遣わしたのです。勇気をだしなさい。」と励ましてくださる。「自分からは何もできない。祈るしかない。主にやっていただこう。」それ以来、私の「最上にわざ」である祈りがはじまったのです。。

神は最後にいちばんよい仕事を残してくださる。それは祈りだ•••。

手は何もできない。けれども最後まで手で合掌できる。

愛するすべての人のうえに、神の恵みを求めるために•••。

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☆☆☆参加者の感想☆☆☆

中野 正義

課題1:「メメント・モリ」のあなたの優先順位

 48年間生活を共にしてくれている家内に喜んでもらうことをする。このほかのことは、これが出来るようにすることの残りの時間でする。

課題2:「最上のわざ」から受けたあなたの感想

 老いの重荷を神の賜物とすることの難しさを思う。年を重ねることにあらがうつもりはさらさらないのですが、目の前に置かれている役割責任を果たしていこうとするとき、老いの現実を「力がなくなったこと」と感じてしまう。

​

寺脇 晃

課題1:「メメント・モリ」のあなたの優先順位

 私の優先順位は小川さんと全く同じです。

課題2:「最上のわざ」から受けたあなたの感想

「最上のわざ」4つのことば、については、4つとも私にとっては新鮮で、私の老後の(信仰)生活を考えるために、全てが大事だと思いました。

そろそろ自分の死を考え、準備しなければ、と思いつつなかなかできないでいた私ですが、今回の4つのことばは、それを考える時の助けになります。

楽しい心で、希望を持って、他人の世話になり、常に祈る、そんな自分になるためには今日をどう生きるかが大事で、いつも主と共に歩み、4つのわざを実践できるよう聖霊の助けを祈って行こうと思います。

​

石垣 哲郎

課題1:「メメント・モリ」のあなたの優先順位

 私にとっての「メメント・モリ」の優先順位は、「祈りに始まって祈りに終わる」日常生活を最優先させることです。この祈りを通して主の御心が成就すること、すなわち家族や親せき、友人などが恵まれ幸せに暮らしていけるように霊的環境を整えることです。

私の祈りはハーベスト938通信第10号に書かせていただいたように、沈黙の中で「内なる御霊」に導かれて祈る「霊の祈り」です。この祈りはコリント人への手紙第一14章15節の御言葉「私は霊において祈り、また知性においても祈りましょう。霊において賛美し、また知性においても賛美しましょう。」に示されているように「霊において祈る」祈りです。言葉を口に出さないでひたすら沈黙の中で祈りますので、御霊に導かれながらいつでも、どこでも祈ることができます。

私はこの「霊の祈り」の具体的な祈りとして「見張り人の祈り」に導かれています。この祈りはハバクク書2章1節の御言葉に基づいて生活のセキュリティや霊的な問題を解決するために幻を見ながら「内なる御霊」に導かれて祈ります。

ハバクク書2章1節では「私は、見張り所に立ち、とりでにしかと立って見張り、主が私に何を語り、私の訴えに何と答えるかを見よう。」と語っています。この御言葉に基づいて内なる「見張り所」すなわち「祈り所」にしかと立って御霊に示された幻を見ながら執り成しの祈りを捧げます。この祈りを通して、主は私の祈りに応えて下さり御心を現わして祈ったことが次第に成就されていきます。

普段の生活の端々にも短い祈りや感謝の言葉がどんどん口から出てきます。中でも一番多いのが「感謝の祈り」です。食事や交わりなど日常生活のあらゆるところで「感謝の祈り」が溢れるように口に出てきます。

私の「メメント・モリ」の優先順位は「霊の祈りに始まり、霊の祈りに終わる」日常生活を徹底させることです。その結果、霊的な環境を整えて御心が成るような受け皿を備えています。

課題2:「最上のわざ」から受けたあなたの感想

「最上のわざ」の中で「失望しそうなときに希望し」とありますが、私にとっての老いの希望とは何だろうかと考えてみました。そうすると日頃から「御霊の3つの賜物」(「霊の祈り」、「霊の賛美」、「主との対話」)を用いて霊的な御業に励んでいると「天の御国」に入って24人の長老たちや多くの御使いたちと共に地上の平和のため祈り、御座におられる主を賛美して永遠のいのちとなって輝くことが「希望」だと思うようになりました。

ここからは御霊に導かれて信仰によって示された証になります。

ヨハネの福音書11章25節に「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。」とあるように主イエス・キリストに結び合わされた者は死んだ後、内なる魂が肉体から離れて天に昇り主イエス・キリストと同じ姿に蘇って大いなる天の御国に迎えられます。

そして主イエス・キリストの御前に立って最後の裁きを迎えた時、私は主イエス・キリストに感謝の言葉を捧げたいと思っています。

それは「主よ。あなたは申命記31章8節の御言葉を私に与えて救って下さり、私の人生の前に先に立って歩いて下さって波乱万丈の人生を導いてくださいました。そしてやっと今こうして御国に帰ってまいりました。ここまで力強く導いて下さり心から感謝します。心からあなたの御名を賛美いたします。」

「主よ。願わくばもうひとつ最後のお願いを聞いてください。あなたはヨハネの福音書14章3節で弟子たちに『御国の場所を備えたら、また弟子たちの所にやって来て御国のもとに迎える』と語られました。主よ。この御言葉によってあなたの御心をもう一度私にお示しくださいますように。

どうか御使いの一人に蘇らせてくださって世に生きている私の愛する家族のもとに遣わしてください。そしてヘブル人への手紙1章14節にある「仕える霊」となって愛する者たちに寄り添って励まし天国への道を共に歩ませてください。そして一緒に御国の門を通って主イエス・キリストの御もとに連れて帰りたいのです。あなたが弟子たちにお語りになったように主イエスキリストのいる所に私たちの愛する家族も永遠におらせたいのです。」

私の究極の希望は天の御国に入り主イエス・キリストの御前に立って感謝の言葉を捧げ、主イエス・キリストにお願いして御使いとなって家族のもとに遣わしてくださるよう導かれることです。

​

新谷 徳雄

課題1:「メメント・モリ」のあなたの優先順位

 私にとっての「死に向かって」の優先順位は、ただ一つ、「自分の信仰の霊的立場が、(第3の義として自己認識のとおりに、) 「神の子・主イエスの弟である」として、神様・主イエスにその霊的関係性を確実に認めて頂くことです。

そして天で、「良くやった。忠実なしもべだ。ここで憩いなさい。」と評価されるよう、私にとっての召命である《曲解・誤解されている救霊の真理の解きあかし》を、死の直前まで行うことです。

それはキリスト教信仰者であれば、「主イエスと同じ奇跡を行って、神様の栄光を顕すこと」を求められているからであって、神の陣営に属していると自称する人なら、全員が『主イエスの指示』を聖霊の力を得て行い、「奇跡」を体現することを 「信仰の行い」として神様から求められているからです。これが被造物である人間の霊的立場であり、存在目的であると信じています。

課題2:「最上のわざ」から受けたあなたの感想

「最上のわざ」が「祈り」であることに同意します。 しかし、現在のキリスト教の「祈り」の解釈が、まるでイエス・キリストに「頼りすがること」として捉えられていると感じます。

「祈り」には、神様への感謝をはじめ何種類かのジャンルがありますが、それらを区別せず一括りに「イエスにおんぶに抱っこ」の祈り方です。

一番勘違いしている「祈り」が、「目の前に立ちふさがる壁の解決(どかし方)」です。

聖書が教えているのは、[クリスチャンが「イエスの名」で目の前の問題に向かって命令して、解決した結果を得る]のを、自分の信仰で行うことです。この祈りの結果が奇跡であって、「悪霊の追い出し」「病気の癒し」など、主イエスがしなさいと指示している信仰の行いです。

この真理は、主イエスとの血の契約によって得た「第3の義」の霊的立場の「聖霊を受けたクリスチャン」の祈りかたです。

しかしこの「問題解決の祈り」を殆どの教会(「第2の義」のクリスチャン)は、「自分がイエスの名で問題に向かって命令する」のではなく、イエス・キリストがやってくれるものと勘違いして「頼りすがる祈り」をするのです。祈りが聞かれる為には、「信じています」と言うだけではダメで、神様との霊の関係性が確立している根拠が必要です。

それが主イエスとの「血の契約」であり、狭い道と比喩されている真理です。

​

取出 浩

課題1:「メメント・モリ」のあなたの優先順位

 未だ71歳で元気ですので、やりたいことがまだたくさんあります。まずは体のメンテナンスをして、残された人生で

  1. 家族(妻、長男、次男と嫁と孫)を大切にして、感謝して、共の時間を大切にする。祝福を祈る。それぞれ課題はありますが、彼らを愛し、第一にしていきたい。

  2. 出会う子供たちと創作の喜びを分かち合いたい、子供を通じて得られる恵みを受けて生きていきたい。

組み木のおもちゃを近所の子、教会の子らと手を動かし作り、喜ぶことをやりたいと思っています。

そして体の自由が利かなくなったときに、小川さんのおっしゃる「本当に大事なこと」を悟れるようになりたいです。

課題2:「最上のわざ」から受けたあなたの感想

 素晴らしい。こんな心境に私はなれるだろうか?なりたいですが、自信ありません。

​

吉田 富次

課題1:「メメント・モリ」のあなたの優先順位

「メメント・モリ(死を思え)」を前にして、私が最も優先しているのは「家族・親族の救いと祝福」です。

現役時代は職場や教会など外に目が向いていましたが、加齢とともにそれらは離れ、2年ほど前に死を意識した際、改めて家族の大切さを実感しました。未だ救われていない子どもや孫たちのために、何より祈っていきたいと思っています。

その証の一つとして、今年から日常や御言葉の恵みを綴った機関誌を「気まぐれ発行」で家族や教会員に届け始めました。

現在、病状は落ち着いていますが、元気になると死を忘れがちになります。古代ローマの将軍のように、私も常に「死を忘れるな」と自分に言い聞かせながら、日々を歩んでいきたいと思います。

課題2:「最上のわざ」から受けたあなたの感想

 この詩を読み、無理をせず比較もせず、ありのままの自分を受け入れて神さまを褒め称える大切さを感じました。

かつて私は長男をいつまでも子ども扱いし、重圧を与えてしまっていました。しかし10年ほど前、悩み事を長男に相談した際、親身に寄り添ってくれたことで「すでに親子関係は逆転しており、彼はしっかり生きている」と痛感しました。これを機に教会での役員などの任も少しずつ下り、ゆったりと今を大切にする歩みへとシフトしました。

一方で、同齢の尊敬する先生は心筋梗塞・パーキンソン病と大きな病を抱えながらも、最後まで走り続けるパウロのように情熱的に奉仕されています。その姿に頭が下がる思いですが、私は私で自分らしい生き方を模索しながら、与えられた今を感謝して神さまを褒め称えて歩んでいきたいと思います。

​

秋山 幹生

課題1:「メメント・モリ」のあなたの優先順位

 ①私の逆境の時とは妻、芳子の乳癌による2020年1月5日の召天でした。

私は地上に1人残されて何とも言えない寂しさ、孤独感を味わい続けた。『死』を更に知りたくて本を読み漁つたが、寂寥感はどうしても消えなかった。

祈り続け、教会の最も親しい兄姉に打ち明けた結果、2年後に神は72歳の私の祈りに応えて一回り下の姉妹との結婚を与えて下さり、一体と成る為の『一致への旅』Two become oneが始まった。

キリストに向かいゼロからの一致に向けて先に召された芳子と45年間続けていた夫婦の祈りと同じ事を再開。

②主への奉仕は『賛美』から始める。

③親類縁者、学校、会社の友人、隣近所への関係作り声掛けから始める

課題2:「最上のわざ」から受けたあなたの感想

 小川吾朗さんが他の高齢者と違い老いを楽しむ、受け入れる姿に感動しました。

私は主の再臨と携挙を日々待ちわびながら祈り、吾朗さんと同じ様にあるがままの老化と介護を受け入れ、召される日を楽しみに待つ事、他の人々の為に祈る事は素敵な事です。

​

松本 雅之

課題1:「メメント・モリ」の私の優先順位
 優先順位はただ一つ:「全ては神の栄光のため」。これは神が人間を創造した根本的な目的である。
現代の超高齢化社会は人がなかなか死なない事によるものである。だからこそ死を思う事を通してなおさら現在、過去、未来の自分の生を思う事となる。死を思う事は正に生を思う事なのである。
パウロは、「生くるはキリスト、死ぬるもまた益なり」 と言っている。 生きる事は必ず到来する死に向けて自分の人生を全うする事であり 死ぬ事はこの生の集大成である。
残された人生において神に栄光を帰し、そこから先は復活を含めて全てを主におゆだねしなければならない。なぜならばそこから先は全て主のご計画に基づく事であって死んだ者には管理できないからである。

課題2:「最上のわざ」から受けた私の感想
 「最上のわざ」を通して、改めて人生の目的を考えた。私たちは言葉だけではなく生活の全てを通して神の栄光を表すべきである。そのためにこそ残された時間がある。
例えば、私たちは人生において直面するあらゆる状況を通して神の栄光を表す事ができる。 老いもその1つの手段である。
それでは老いの重荷が神の賜物である事をどのようにして確信する事ができるのであろうか 。それは復活の希望である。引用されていたローマ書5章は正にこの事を語っている。そもそも人は主イエスと同様に死なない限り、栄光の体を授かって復活する事ができない。これは聖書にはっきりと記されている。
「人のために働くよりも謙虚に人の世話になる事」の本質的な目的は「神のために働き神の世話になる事」である。「人のために働き謙虚に人の世話になる事」は「神のために働き神の世話になる」という事のための一つの手段であってこれを通して神の栄光が表されるのである。
最後に「しゃべりたいけど黙り」については、正に私の事である。自分の考えを語る機会に乏しく、最近は最初から最後まで一言も語れない事が多い。私は万人祭司の傾向が強いので偉い先生だけが長々と語り、他の人は黙るべきであるという考え方に反発してしまう。もしも御言葉を語る事が禁じられているのならば、そのような集会は「バイブルサロン」と呼ぶに値しない。
今回は発言の機会を備えて下さいました事を感謝する。

​

横倉 順治

課題1:「メメント・モリ」のあなたの優先順位

 1)キリストの品性:キリストの品性を身に着けることを最後まで目指したいです、(キリストと同じ姿にあらかじめ定められた、と書かれています(ローマ8:29))

 2) 妻への感謝:助け手として主が導いてくださった妻に感謝し、コミュニケーションをエペソ4:2~4により最後まで継続したいです。

課題2:「最上のわざ」から受けたあなたの感想

 弱くなってゆく自分に失望せず、どのように主にあってその弱さに向き合ってゆけるか、を示していると思います。

「たとえ人のために役立たずとも、親切で柔和であること」は特に印象的でした。

「御霊の実」を結ぶことは年齢に関係なく、最後まで目指すべきゴールであり、大切な生き方ではないかと思いました。

​

星野 隆三

課題1:「メメント・モリ」の私の優先順位

  1. 妻を愛し妻との生活を愉しむ

  2. 子どもたち家族と主にあって共に歩む

  3. 人生で知りあった人々にキリストを伝えることを使命として生きる

課題2:「最上のわざ」から受けた私の感想

  順序は違いますが、吾朗さんの感想と同じです。Ⅰ番目は私にとって特に重要です。

  • 一番目のことば:「失望しそうなときに希望する」

  • 二番目のことば:「楽しい心で年をとり」

  • 三番目のことば:「神は最後にいちばんよい仕事を残してくださる。それは祈りだ・・・。」

​​​

江波戸 啓悟

課題1:「メメント・モリ」の私の優先順位

 それは、祈りです。妻の両親が、毎朝自分たちの家族の無事を、名前をあげて祈っていました 。子供からそのひ孫ですから、おじいちゃんの名前が出ない時もあります。その時は、おばあちゃんがフォローします。そんな両親をとても尊敬しています。この機会に、私も親の真似をして、家族の名前をあげて祈りたいと思います。

課題2:「最上のわざ」から受けた私の感想

 私の母が90歳近くなった時に、吾朗さんからもらった「最上のわざ」のコピーを送りました。すると母親は、とても喜んで繰り返し読んでいました。母親に、一つ孝行ができた私の良い思い出です。 私もこの「最上のわざ」を、これからもじっくりと味わっていきたいと思います。

​

​門谷晥一

課題1:「メメント・モリ」の私の優先順位

 (1) 神を中心として三撚りの糸で結び合わされた妻との関係を、最後まで良きものとして持ち続けたい。妻とは共に牧師として20年近く牧会を行い、現在も共に協力牧師として教会に仕えています。毎日、子供、孫、教会員、親族、知人、友人、近隣の方々等、100名以上の方々のことを覚えて執り成しの祈りを捧げていることも含めて、妻と共に祈りつつ、神のお働きに何らかの形で参加し続けたい。(ルカ2:36~37 また、アシェル族のペヌエルの娘で、アンナという女預言者がいた。この人は非常に年をとっていた。処女の時代の後、7年間夫とともに暮らしたが、やもめとなり、84歳になっていた。彼女は宮を離れず、断食と祈りをもって、夜も昼も神に仕えていた。)

 (2) 信仰によりもたらされる、溢れる恵みや感謝や希望等の霊的な祝福を、子供や孫達が受け継いでくれるように、又良き父親でありおじいちゃんであったと彼らの記憶に残るような終わり方ができるように、彼らとの良好な関係作りや良き思い出作り等を続けたい。

 (3) 神の家族である教会の兄弟姉妹達・知人や友人・近隣の方々等と、良き関係を持ち続け、主にある喜びや平安や天の御国への希望に満ちた生き方を通して、又弱っている人や病んでいる人の霊的な痛みに寄り添うことを通して、彼らのフィニッシングウエルに向けての道備えに協力し続けたい。

   (4) いつ召されてもいいように、又死後に問題が起き無いように、霊的及び物質的な遺産の整理、エンディングノートの完成、相続の準備、介護のこと等、人生の最終段階で起こり得ると思われる諸課題をクリアにして行きたい。

課題2:「最上のわざ」から受けた私の感想

 小川吾朗さんのお話しに大変感銘を受けました。ありがとうございました。私の“人生の秋”における「最上のわざ」は、秋の時期を迎えるまでに生かされた、永い人生の歩みでいただいた多くの恵みに心から感謝しつつ、秋は(1)成熟(豊かさあふれる)の季節、(2)収穫(人生の実り)の季節、(3)静かな(霊的成熟の)季節、(4)葉が落ちる(手放す)季節、(5)紅葉のような新しい美しさをもつ季節、であるという事にも心を留めながら、人生の冬の時期に向けて、喜びと希望と祈り心をもって日々を過ごすことです。

​

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​完

「80歳代の生き方」のアイデアや提案がありましたら下記のメールでお知らせください。

​管理者:星野隆三

lifepeace365@gmail.com

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