第28回の報告
2025年9月6日(土)


中野 正義さんのメッセージ























信仰文書
2025.9.30
「忍耐に生きたい」
中野正義
最近強く思わされていることが有ります。いろんなところで忍耐が足りない自分がいるということです。パウロは、若い牧師のテトスに、教会ではこのように伝えなさいと書きました。「年配の男の人には、自分を制し、品位を保ち、慎み深く、信仰と愛と忍耐において健全であるように。」(テトス2:2) ここに言われていることは、特に年配の男性にとって難しいことだというのです。実感しています。
昔、この節を読んだ時、「そういうものなのか。」と受け流していたように思いますが、今、自分が年を重ねてくると、この言葉が言われた意味が分かって来ました。
忍耐するとはどういうことなのか考えさせられました。新約聖書において「忍耐」と翻訳されている言葉にはいくつかあります。その中で、中心的に使われている言葉が、「私たちはまだ見ていないものを望んでいるのですから、忍耐して待ち望みます。」(ローマ8:25)に使われている言葉です。ここでの忍耐とは、ただ我慢することではなくて神様の約束に期待して、困難なことの下に自分を置き続けることです。この他に、いくつかの言葉が用いられていますが、基本はこの言葉です。
私たちが忍耐していけるのには、神様が私たちをお赦しになったことが土台にあります。「互いに忍耐し合い、だれかがほかの人に不満を抱いたとしても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。」(コロサイ3:13)
「ヨブの忍耐」という言葉があります。「見なさい。耐え忍んだ人たちは幸いだと私たちは思います。あなたがたはヨブの忍耐のことを聞き、主によるその結末を知っています。主は慈愛に富み、あわれみに満ちておられます。」(ヤコブ5:11)が言われています。ヨブのどこに忍耐があるというのでしょうか。彼は神様に対しても言いたいことを言っています。しかし、とても厳しいところに置かれていても、友人たちから見当はずれの非難の言葉を浴びせられ続けていても、神様の前に居続けました。神様に思いっきり文句を言うことは、神様への信頼があるからこそできたことだと言えます。神様に期待してその場に留まりました。それでヨブは、「神様を見た」(ヨブ42:5)と言えるほど成長して、神様のそばにいることになりました。苦しいところにあっても、神様がともにおられるので慌てないでいられる。これが忍耐だと思わされています。
年を重ねてきた者の忍耐の姿勢は、自分が絶望と思えるところに置かれても、神様は約束を確かにしてくださったという経験から滲み出すものだと感じています。
私もこのような者になりたいと、強く願わされております。
推薦図書
J.I.パッカー「神について」「神を知るということ」
これは同じ本ですが、翻訳者が違います。
私はこれを何度も読んでおりました。


J.I.パッカーの「神について」の解説
1. 神を「知ること」の中心性
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パッカーは、キリスト教信仰とは単なる「神についての知識」ではなく、人格的に神を知ることだと強調します。
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神を知るとは「神と関係を持つ」こと。つまり、神は抽象的な概念ではなく、生きておられる人格であり、信仰者が交わりを持つお方です。
2. 神の特質(Attributes of God)
パッカーは古典的な神学に基づき、神の属性をバランスよく描き出します。特に以下の点が強調されます:
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神の偉大さ(Majesty):全能・永遠・無限・不変など。
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神の愛(Love):恵み深く、憐れみ深く、罪人を救うお方。
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神の義と聖さ(Holiness & Justice):罪を軽んじず、義なる裁きを行う。
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神の主権(Sovereignty):天地を支配し、人間の歴史を導く。
3. 神を知ることと人間の生き方
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神を正しく知ることは、信仰者の礼拝・従順・慰めに直結する。
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神を知る者は、自分の小ささを認めつつ、同時に神の子としての確信と平安を持つ。
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パッカーは「神を知ることは、人生における最大の特権である」と強調しました。
4. イエス・キリストにおける神の啓示
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神は抽象的にではなく、イエス・キリストにおいて最も完全に現された。
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キリストを知ることこそが、神を知る唯一の道です。
まとめ
パッカーにとって「神について」を語ることは、単なる知識の伝達ではなく、「神を知り、その愛と聖さに生きること」を目指す営みです。 彼は「神を知ることが、クリスチャンの生涯における最大の喜びであり目的である」と結論づけています。
第28回
完
