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第16回の報告

​2024年7月6日(土)
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本日のテーマ

今回は「Finishing Well」について話し合います。

 

          1− 開会の祈り                                     

          2− Finishing Well とは:星野 隆三

          3−休憩

          4− Finishing Wellについて各自の発表と話し合い

          5− グループに分かれて祈り合う                                                                                                      

          6− 閉会の祈り

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星野 隆三
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​参考図書

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メンバーの Finishing Well

アイウエオ順

               「Finishing Wellについて」

    秋山 幹生

 私は20歳の時に国際ナビゲーター(以下、NAV)の秋のカンファレンスのメッセージでヨハネ8章の姦淫した女が律法学者とパリサイ人によってイエスを試す為に連れてこられ、律法に基づき石打ちの刑の裁きを迫る場面でした。誰も罪を犯した事が無い人はいない為、最後にイエスご自身も神の愛からその女を裁かないと知り、これは正しいと思いイエスを救い主として受け入れて半世紀以上が過ぎたが、あの決心は正しかった事を,更に確信を深めています。

 NAVIの訓練で学生時代に教えられた「車輪の生活」、神様との縦の関係として「祈り」と「御言葉」、横の関係として「証し」と「交わり」をバランス良くする事で車輪が滑らかに回る様にクリスチャン生活もバランス良く継続する事を下に、毎朝のデボーション、聖書通読、年間聖句、交わりとして若い夫婦との「Two become one」のテキストを下にお互いの学びをシェアする事、礼拝出席と交わり等を継続しています。最愛の妻の芳子姉妹が乳癌を8年間患い、2020年1月に召天、42年間の幸いの交わりが途絶え、霊的にも深い落胆を感じ続けていました。

 2年間の祈り、願いの結果、一回り下の新妻の宏美姉を主は備えて下さり「Two become one」を目標に夫婦で学んでいます。宏美姉とゴスペルフォークの賛美奉仕を祈り、私のギター伴奏とコーラスで練習をして賛美と証しの奉仕を準備しています。

 近隣の2夫妻、実の兄弟姉妹、親戚、友人の救いを妻と共に祈り、各家を訪問し、我が家に招いたりして交わりの機会を持つ事を夫婦で願い、年齢に相応しいビジョンが与えられる事を祈っています。

今年の年間聖句

「そして、あなたがたのうちに良いわざを始められたかたが、キリスト・イエスの日までにそれを完成して下さるにちがいないと、確信している。」   ピリピ人への手紙1:6 

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私にとっての「Finishing Well は何か」

       石垣 哲郎

メールに添付された参考資料を読んで、私なりにちょっと違った角度から「Finishing Wellとは何か」を考えてみました。

 

まず、私がこのテーマを考える際に思い浮かべるイメージは次のようなお話です。

 

あるところに学校がありました。先生が生徒に「みなさーん、今日は朝から学校の時間割に沿って学んだり、遊んだり、クラブ活動をしたり、いろんな経験を積んで楽しい一日を過ごしました。もうそろそろ学校はおしまいですよ。後片付けをして家に帰りましょう。」と言いました。

 

 すると生徒たちが「先生、やり残したものがあります。もうちょっとだけやりたいです。」とか「みんなで今日一日の反省をしよう。」とか「使った道具や借りたものを整理して元通りにしよう。」、「ボクが作ったこの素晴らしい作品をどのように始末したらいいのかなぁー。」、「あー、もう疲れちゃったなぁー。目もかすんできたし、体も重くなってきたよー。」、「こんなに散らかし放題では後に残った生徒たちから文句が出るぞー。早く作業を終わらして、みんなで教室を掃除しよう。」などと言い出しました。

 

 そうこうしているうちに日も傾いてきて、辺りが次第に暗くなってきました。するとある生徒が言いました。「はて、私たちの家ってどこだったけ?」、「あれー、いったい私たちはどこへ帰ればいいのかなぁー?」、「それに、家に帰る道ってどこにあるんだぁー?」、「みんな、家から学校に来た道を覚えてるかぁー?」、「そもそも私たちの家って何なのー?」、「家に住んでいる両親や兄弟って誰ですか?」、「家だ、家だと言うけど、だいたいどんな住まいなのー」、「おーい、もうすぐ校門が締められるぞー。いったい私たちはどうしたらいいんだぁー?」とそれぞれが叫び出して騒然となりました。

このような光景を思い浮かべます。

 

 「Finishing Well」について考えるときに、その意味付けは人によってそれぞれ違うように思います。キリスト中心に穏やかに高齢期を過ごすことが「Finishing Well」なのか、教会に仕えて人生を終えるのが「Finishing Well」と言えるのか、人それぞれに「Finishing Well」の意味合いが異なるように思います。

 そういう意味で「Finishing Well」はかなり主観的なもので、人それぞれが個人的に意味付けるもののように思います。それに死後、遺族たちが故人を振り返って「確かにこの人の最後はFinishing Wellだった」と評価して意味付ける面もあると思います。

そのような事を含んで 私なりの「Finishing Well」を考えると。

  • 「Finishing Well」は人生の後始末をすることだと思います。

  • 「Finishing Well」は天国に入るために準備をすることだと思います。

  • 「Finishing Well」は日常生活の積み重ねだと思います。

「Finishing Well」はこれまで築き上げた人生を上手に後始末して、天国の家に帰って行くことだと思います。

「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。」ルカ9:23

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              伊藤紘一の Finishing Well
 

                  The PathwayのFinishing Well 
                 『上手に人生を仕上げるためにとっておくべき6つのこと』 に基づいて述べます。

 

(1)主イエスに忠実に従うことが基本であるのは100%賛成します。
  主イエスの主権に身を委ねてこそ、失敗を乗り越え永遠なる神さまの目的に生きる事が出来

  て、真の安息を見出せます。


(2)聖書で言うところの『空しい哲学』を選択するな、と述べられていますが、今ひとつ明確では

    ありません!
  キリスト信仰を全うするには、如何なる哲学も邪魔であるという意見なら全く反対します!

      いくつかの西洋哲学の中にもありますが、日本の西田幾多郎の哲学のように、寧ろ深く真摯に

      哲学を進めて行けば信仰の領域に到達せざるを得ないとの結論に至る哲学もありますから!
  あらゆる分野で世界が分断して意見の異なる人との対話ができないカオス状態の今の社会の中

      では、できるだけ普遍的で、多くの人が理解できる”理性的な言葉”で心を通わすには、哲学的

      アプローチで論じることが益々が重要になるのですよ!!!
  とくにキリスト教分野に於いては、”善い意味での”宗教間の寛容性が必須であると信じます!


(3)自分の人生を他の人の人生に注ぎましょうということ。
  これこそ本命でしょう!
  善きサマリア人や最後の晩餐での主イエスが弟子の足をお洗いくださった事実は尊いお手本で

      す!主イエスは、どんな信徒にも、【困っている人】をどこかに配置されていますよ、という

      のは真実ですね、実感できます!
  以上から、(3)に基づき、
『困っている人』に心を傾け、接して生きて行くのを 【私のFinishing Well】 にしたいもので

   す!!!
   以上が今のところの私見です。

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私のFinishing Well

     遠藤誠一

1,最期はみなさに「ありがとう」天国で待っているね。と迎えたいですね。意識があれば、最期

       の最後は「天のお父様、私の霊をみ手にゆだねます」と言って、召されたいですね。

2,私の祈りの課題

  「リバイバルセンター山陰」(200人ぐらいの会堂と宿泊施設を備えた祈祷院や集会、礼拝がで

  きる施設を建設し、管理者など置き、リバイバルの拠点の一つ)を見て召されたいです。

3,担当している、3つの教会の後継者3人と、日本、世界宣教に遣わされる宣教師数名の働きを見

  て召されたいと祈っています。

4,102才まで現役で、召される直前まで、メッセージをとりつぎたいです。

  そのために、日々健康作りなどに留意して励んでいます。

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            私にとってのFW(フィニッシング・ウェル)

               大田尾 達三

 いつまで生かされるのか、分かりませんが、今日生かされていることに主への感謝と自分を取り巻く人々への感謝を忘れずに、今日やらねばならないこと、今日しか出来ないことなどについて、優先順位をつけて、今日の一日を過ごして、いつこの世を去ってもよい準備が出来るようにと考えています。

 

A. 日々のルーテインを次のように行う

(1)朝、目覚めた時に起きれるならば、起きて静まりの時、(聖書の短い個所を読み、神がその

     聖書から何を教えようとしているのか、を黙想する)、また、祈りの時を持ち、心にある

         様々な課題について祈る。現在、5時半起床、6時から7時半までデボーション

(2)決まった時刻に朝の食事をする。食事作りは家内の仕事。

     食べた後の片付け、食器洗いは基本的には私の仕事であるが、私が用事がある時、またバイ

        ト(月曜、木曜)の時は食器洗いは免除。

(3)食事の時に、家内と今日のお互いのスケジュールの確認をする。

   役割分担の確認、気になっている問題、課題などを話し合う。

(4)曜日によって、一緒にやる仕事(買い物、水中ウオーキング、訪問など)の確認。

   その週のすべきこと計画の優先順位を決め、実行に移す。

(5)昼食後、30分間昼寝をする、。家内は最低1時間昼寝をする。

(6)夕食後、最低30分は散歩をする。

   TVを見て、リラックスな時を持つ。

(7)日記を書く。(5年間日記)

   自己吟味、悔い改めをして、10時半までには、ベッドに入る。

   

B. 生涯の霊的目標

    イエスの謙遜、従順、憐れみ、赦しを見倣いつつ、日々歩む。

        宮沢賢治の「雨ニモマケズ、風ニモマケズ、・・・・サウイフモノニワタシハナリタイ」

 

C. 目標聖句

   (1)ヘブル人への手紙 12:2、

              信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい。

            この方は、ご自分の前に置かれた喜びのために、辱めをものともせずに十字架を忍

               び、神の御座の右に着座されたのです。

    (2)Ⅰペテロ3:15

           むしろ、心の中でキリストを主とし、聖なる方としなさい。

         あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでも、いつでも

         弁明できる用意をしていなさい。

    (3)マタイ11:29

         わたしは心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、

                 わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます。

    (4)マタイ16:24

        それからイエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、

      自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。

D. 身辺整理

   本の整理(必要な人にプレゼント)。

   工具を必要な人にプレゼント、持ち物の整理をする。

          息子たち夫婦と私たちの老後の生活について、話し合いの時を持つ。    

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小川 吾朗のFinishing Well
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【私にとってのフィニッシングウエル】

                 門谷 晥一

 いつ天に召されるかは、神の御手の中にあると思いますので(マタイ6:27,10:29,マルコ13:33)、主に委ねつつ以下のような歩みを可能な限り行っていきたいと思います。

【霊的面】

・父なる神に忠実に従われ人の為に命までも捧げられた、フィニッシングウエルの最高の見本であるイエス・キリストに倣って、幼子のように純朴で(マタイ18:3)アブラハムのような主への全き服従(ヘブル11:17)の信仰を持ち、主の山に備えありとの確信に立ちつつ、地上の歩みを最後まで走り抜きたい。言い換えるなら最後まで成長し続けたい。(ピリピ3:12~14,Ⅱペテロ3:18,エペソ3:19,4:13,4:15,ヨハネ1:16,Ⅱコリント4:16,イザヤ40:31,ヨシュア記13:1)

 

・死を乗り越えさせる「い・や・さ・か」の希望を確信し、天の御国の前味をこの地上で十分に味わいつつ、そこに入っていく準備を日々喜びながら行っていきたい。そのような主にある喜び・平安・天の御国への希望に満ちた生き方を通して、フィニッシングウエルの大切さや必要性を、教会の兄姉達や近隣の方々等の周囲の人々に伝え続けて行きたい。(Ⅰテサロニケ5:16~18,ヨハネ11:25~26,ルカ2:29~32,ピリピ3:21)

               

・牧師の役割を徐々に娘夫婦に委ねつつも、教会における奉仕を可能な限り何らかの形で継続し、祈りつつ神にお仕えし続けたい(ルカ2:36~37)。又「ほっとカフェ」を通して年配の方々にいやさかの希望を伝えること、死に行く人や病んでいる人の霊的な痛みに寄り添うこと、詩吟クラブの年配の方々と共に趣味を楽しめるようお手伝いをすること等、自分に課せられていると思う使命を許される限り主にあって果たして行き、御国に迎え入れられたい(マタイ25:21, 詩篇92:12~14)。

 

・祝福や希望や溢れる感謝等、信仰によりもたらされる素晴らしい霊的祝福を子孫

に受け継がせるよう、日々祈りつつ努力して行きたい。又いい夫であり、父親で

あり、おじいちゃんであったっと、近親者の記憶に残るような終わり方ができる

ようにも努めて行きたい(ヘブル11:21,創世記22:17~18,創世記49:1~28,Ⅰ

ペテロ3:9b)。更に孫やひ孫らが神のために働くのを見、4世代を含む家族、私

たち夫婦、友人、知人と共に聖会を開けるようになるという夢を見つつ人生を全

うしたい (ヨエル2:28)。 

 

【身体面】

・身体は「聖霊の宮」なので(Ⅰコリント6:19)、地上の生涯を終える時迄、きちんと管理し、健康を維持するよう努力し続けたい(詩篇103:3~5)。

・最後の時を自宅で家族に囲まれて過ごせるよう祈り求めて行きたい。その時期については全く神にお委ねしているので、不必要な延命措置等は受けたくない。

・趣味の詩吟については、健康維持のためにも出来うる限り続けて行きたい。

 

【物質面】

・エンディングノートへの記入や遺産相続の手続き等を完了させたい。又身辺の整理も行って行きたい。更に死後に問題が起きることの無いよう、全ての問題や課題を整理し解決しておきたい。

・又全てにおいて、できるだけシンプルライフを心掛けていきたい(ヨブ記1:21)。

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私のFinishing Well

                  小和瀨 勇

① 地域町内会区長の引退と引継ぎ

3月で地域町内会区長の引退をして、後継者に引き継いだ。4月からは、副区長として新区長をサポートし、防犯委員のボランティアは継続している。

 

② 4月から、フルタイムの伝道者の意識をもって、毎日曜礼拝を充実する。

最近、礼拝に出席された方のために祈り、2023年度は一人の受洗者が与えられたので、本年度も受洗者が与えられるように祈る。

 

③ 心身の健康維持

・町内のグラウンドゴルフ(週3回)をできるだけ、参加する。

・4月より、姪のピアノ教室に通い、毎月1・2回のレッスンを開始した。

・ギリシャ語を再勉強する。友人から指導を受ける。

・小麦アレルギーのセカンドオピニオンを受けて、改善を試行している。

 

④ 読書を毎日続ける。

昨年から開始している「(石垣哲郎著)の幻を書き印せ」」「(渋沢浩二氏より贈呈された)福音のためのインサイダー」を読了し、近くの高崎経済大学の図書館を利用し、政治・経済・文学の視野を広める。

 

⑤ 海外旅行を行う。

妻との約束の「ドイツ旅行」を4月に行った。ハイデルベルクの古城・大学を見学した。旅行の事前学習として、ルター訳の創世記の再勉強を行い、宗教改革時代のルターの活躍等に触れた。

 

➅礼拝の映像配信を検討する。

太平洋放送協会の支援によるオンライン研修を行い、礼拝の映像配信を検討している。礼拝の映像配信の準備を検討している。

 

⑦ 群馬ヤスクニ委員会の学習会に参加し、日本の軍国化を防ぐ学びと活動に励む。

数十年間継続していた町内会 からの「護国神社への募金」を2022年度から中止にしたが、このような学び・運動を広めたいと思う。

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                                   良い人生の終わり方
                  棚沢 英樹
 人生80歳まで生きて来、今つくづく思わされる事は人の人生は多種多様であること。
ゆえに人生の終わり方あるいは終わらせ方も多様であるのが良い。
私の考える終わり方、終わらせ方はエペソ2章10節に基礎を置く。

エペソ2章10節 「私たちは皆神の作品である。」


 私は絵が好きです。描く才能は残念ながら与えられていないので鑑賞する方。24歳の時イギリスロンドンに1ヵ月滞在した時、毎日のようにトラファルガー広場前の英国国立美術館テームズ川河畔のテイト美術館etcを見て歩き,(当時はすべて無料)好きな作品の前でゆっくりと作品を鑑賞し各時代の美術と会話を楽しんだ思い出が今も青春のハイライトとして思い出される。


 それゆえにクリスチャンになって聖書の中にこの言葉を発見したとき私の人生の目的、目標は決定したように感じる。「神の作品」として神にそして見る人々に喜ばれる良い作品になろう。それ以上でもそれ以下でもない。


 私は毎年11月国立西洋美術館で開催される日展を楽しみに出かける。楽しみに出かける1つの理由は作者が決して全員プロではなく絵を書くことを楽しむ人々だからだ。
大きな画布700点ばかり。1年をかけてそれぞれの画家が思いを込めて書き上げた作品は壮大。
面白い事は作品の対象は千差万別。朽ちかけた廃屋、水たまりに映る風景、ガラクタの山里、山の清流、山の風景、テーブルの上の静物、外国の女性、日本の女性。ありとあらゆる対象物の中に作者は何らかの美の対象を見出して描く。3時間ほど足を棒にして歩き「へーこんなものに美の対象を見いだすんだ」と感心し、改めて人生の豊かさを思う。
第一コリント12章に「キリストを頭とした教会の働きの様子。またキリストを頭としてキリストの体に属する多種多様な機能」について詳しく記されている。


 私たち各自は自らの罪を悔い改め、許され新しくキリストの作品として再出発し、作品の生き様、個性を最大限キリストに与えられた自由を喜びを持っていき、その生き様がキリストを思い起こさせる証となり、人々が私たちの生き様の中にキリストを知る知識の香り(Ⅱコリント2:14)   キリストの命の香リ( Ⅱコリント2:16 )となって人々を刺激し、「あなたのように神を信じていきたい」と願われるようになった時、私たちの人生は良き人生であったと神にお褒めの言葉をいただけるのだろう。


 私は一応100歳まで生きたいと主に願っている。叶えられるか否かは主の御旨のまま。しかし最後の息を引き取るときのポーズは決めている。
英国の偉大な宰相W.チャーチルのようにベッド際に集まった人々に対しVサインを示して息を引き取る。
そうできるよう 霊、精神、肉体を日々整えておきたいと願う。

主にあって
 

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ソフトランディングからフィニッシングウェルへ 

         谷 雅史

 体調不良と家族の問題が重なり、2013年から務めた「希望の車いすの」の理事長を、6月に聖書キリスト教会の尾山キャシー牧師に引き継ぎました。今後は一会員として出来るだけ関わろうと思います。

 「希望の車いす」はリタイア後の生きがいでした。車いすを提供した人、整備した人、届けた人、受け取った人と家族、沢山の人々の善意と愛が繋がる喜びに触れさせていただきました。混乱したこの世にあって、主のご計画は想像を超えてすばらしく、仲間たちと共に感動と希望を頂いてきました。
 

  これからは体力気力の衰えと折り合いをつけながら、家族・友人にもっと寄り添い語り合い、信仰と希望と愛を分かち合えたらと願っています。障害を持つ息子たちのことでは心配が尽きず、家内は心身ともに弱っていますが、共に主に祈りお委ねして、日々支えられています。母が長生きしてくれて、ゆっくり親孝行の時間もとれるようになりました。 

 カレブの会の皆様との交わり、学びには大変励まされ教えられており、感謝します。

「神を愛する人々、すなわち神のご計画に従って召された人々の為には、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを私たちは知っています。ローマ8:28

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「私にとってFinishing Wellは何か」

    松本 雅之

 私にとってFinishing Wellとは死ぬための準備の事ではありません。生きるための準備を表します。

 ここで言う「生きる」とは共観福音書やパウロが説く「永遠の命」の中で生きる事を表します。
私たちはキリストの再臨後にもはや朽ちる事のない新しい体を授かって復活し、これに伴ってキリストによってもたらされた贖いのみわざが完成します。この新しい体はキリスト者が授かる勝利の栄冠です。


 そもそも私たちは、世に「神の栄光」をもたらすために創られました。私たちの存在の目的は「神の栄光」を現すためです。従いまして永遠の命の中で生きるための準備は人生を通して如何に「神の栄光」を現す事ができるかにつきます。

 この結果キリスト者は報償として勝利の栄冠を授かるのです。
 私たちが「神の栄光」を現す事を使徒ヨハネの言葉で言い表せば 「既に授かっている神聖な命の性質を言葉や行いを通して表現する事」 という事ができるでしょう。

その代表的な性質は「キリストの愛」です。

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以上

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