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第7回の報告

​2023年9月2日(土)
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​本日のスケジュール

1− 開会の祈り           

2−25分 スピーチ (石垣 哲郎さん)

   〜テーマ :高齢者の生き方

3− 「80歳からの生き方」をテーマに皆で話し合います  

4− グループに分かれて祈り合う (15分)  

  〜終了後、再度全員で集まります〜特別なトピックスがあれば報告して下さい

5− 閉会の祈り     

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​散歩道で佐世保港を望む

(1) 石垣 哲郎さんの人生の歩み

自己紹介
佐世保市在住。佐世保キリスト福音教会員

   【経 歴】

     は1949年宮城県仙台市で生まれました。1974年地元の東北学院大学

     法学部を卒業後、大手ゼネコンの㈱竹中工務店に入社しました。竹中工務店で

     は北海道支店や東京本店、数々の建築現場で勤務し、主に工事経理の仕事に携

     わりました。

 1985年に竹中工務店を退社し、翌年(1986年)マンションの㈱初穂に入社しました。初穂ではグアム島の初穂インターナショナルインクに出向し、現地法人の会計業務を立ち上げました。

 バブル最盛期の1989年に新建築㈱に転職しました。この会社は日立製作所関係の工事を手掛ける中堅の建築会社でありまして、経理と資金の仕事に従事しました。バブルの崩壊により民事再生法の申請をしたのに伴って退社となりました。

 その後、チルド運送会社に就職しましたが、ここでは不良債権処理に追われました。結局、2005年1月に振り出した手形が不渡りとなり倒産となりました。

 同じ年(2005年)の6月に、オリックス・サービサー(債権回収)でアセットマネージャーとして勤務することになりました。ここではJ-REIT(Real Estate Investment Trust不動産投資信託)や不動産ファンドなどの投資型不動産を担保に貸し付けられたローンの管理と回収(プライマリーサービシング)業務に携わりました。2011年東日本大震災による社内業務の大幅な見直しにより退社となりました。

 その後、震災で被害を受けた母親を引き取って自宅で面倒見ていましたが、要介護度が上がったため特別養護老人ホームに入居しました。4年間ほど施設で静かに生活していましたが2015年に召天しました。

 

【信 仰 歴】

<バプテスマ>

 私は1967年に宮城県工業高校を卒業後、一端就職したものの体を悪くして入院し、働ける状態ではなくなったため、退職して自宅で療養することになりました。

 療養中に近くの教会の宣教師から教会に誘われたのをきっかに、教会に行ってみることになりました。5人~6人の小さな群れでしたが温かい和やかな雰囲気にすっかり打ち解けました。夏になって教団主催のバイブルキャンプが開かれることになり参加することにしました。

 キャンプでは、夕食後の集会やキャンプファイヤーで語られる聖書の話に耳を傾けて、自分の魂を見つめることになりました。

 その後の教会生活や聖書の学びを通して、私は神によって造られたもので、この命は神から与えられたものだ。だからこの人生には神のご計画があることが分りました。しかし私は神から遠く離れており、神のご計画があるにもかかわらず、この人生を自分勝手に生きようとしている。だからイエス・キリストによって救われて神との正しい関係を築くことが本当の人生だと分かりました。

 このように理解したとき一つの幻を見させていただきました。それは、周囲が漆黒の闇に包まれている中、私の足元から一条の光が前方に果てしなく伸びていて、ずっとはるか遠くの方に丸い円のような神々しい栄光が見えるものでした。そして、この光の道をどこまでもまっすぐ歩いていけば絶対大丈夫だという思いが湧いてきました。

 また当時、相談に乗ってくれた神学生からひとつの御言葉が与えられました。それは申命記31章8節の御言葉で「主ご自身があなたの先に進まれる。主があなたとともにおられる。主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。恐れてはならない。おののいてはならない。」という御言葉でした。この御言葉に確信を得て1968年11月3日に仙台市の八木山聖書バプテスト教会でバプテスマを受けました。

 

<国際ナビゲーター>

 その後、私は1980年11月頃に国際ナビゲーターに参加することになりました。

最初はお茶の水クリスチャンセンター4階の国際ナビゲーターの事務所で毎週木曜日夜7時から行われていた市村和夫さんの学び会に出席したのが始まりでした。

 その後、この学び会はオアシス祈り会へと姿を変えていきました。この祈り会で熱心に捧げられる祈りは、次第にいろんな方面で具体的な形となって現れてきました。その一つがインターナショナルVIPクラブの誕生でした。そのような波は私の信仰にも現れてきました。

 

<「幻を書き記しるせ」>

 私は1994年4月にヨハネの福音書6章63節の御言葉を通して聖霊が与えられました。その御言葉は「いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。わたしがあなたがたに話したことばは、霊であり、またいのちです。」の御言葉で、この御言葉を通して聖霊が注がれて、数々の幻が与えられました。

 そして、今度はこの幻を通して数々の御言葉がせきを切ったように湧き上がってきました。それらを手帳やメモ用紙などに書いて行きました。ある程度、まとまったところでオアシス祈り会の佐々木満男さんに見せたところ、オアシスクリエイトの広瀬正孝さんが出版したいという話になりました。

 こうして出版された本が「幻を書きしるせという本です。内容は御霊によって与えられた8つの幻について、聖霊に示された御言葉を介して主と交わるというものです。

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​佐世保港を望む散歩道

(2) 石垣 哲郎さんのメッセージ

    今日の話の背景についてお話しします。私は老いていく両親を施設に入居させた

   り、義理の母親を自宅で引き取って面倒を見たりしながら、高齢者の老いていく姿

   から死に至るまでをつぶさに見てきました。

      また、父はケアハウスに、母は特別養護老人ホームに住んでいたため、多くの入

   居者の老いの生活を観察することが出来ました。このような個人的な経験をベース

          にしてお話しさせていただきます。

 

【クリスチャンのゴール】

 私たちクリスチャンの信仰生活のゴールは天の大いなる御国に入って、主イエス・キリストにお会いし、永遠のいのちとなって輝くことです。従って高齢者の生き方は、天国に入る準備をするための生き方であります。言ってみれば天国への控室にいるようなものです。

​ 天国のありさまは黙示録4章に記されています。これはヨハネが黙示を通して見た天国を表したもので、そのありさまは、

 「天に一つの御座があり、その御座に着いている方がおられる。その方は、碧玉や赤メノウのように見え、その御座の回りには、緑玉のように見える虹がある。また、御座の回りに24の座があり、白い衣を着て、金の冠を頭にかぶった24人の長老たちがすわっている。御座の中央と御座の回りに、前もうしろも目で満ちた四つの生き物がいる。

   御座と生き物と長老たちとの回りには、万の幾万倍、千の幾千倍の御使いたちがおり、彼らは大声で『ほふられた小羊は、力と、富と、知恵と、勢いと、誉れと、栄光と、賛美を受けるにふさわしい方です。』と叫んでいる。」

 とあります。このようにヨハネが自らの黙示を通して天国はこのようなものだと私たちに表したのです。

 私もこの御言葉の通り信じており、天国は光の王国だと思います。王国であるからには王様がおられます。このお方は全能の神の右に着座された主イエス・キリストであります。主イエス・キリストが御国の中心におられて、御国を統一して秩序あるヒエラルキーを作っております。

 天国に入るということは、祈りと賛美に満ち溢れた大いなる御国に祝福のうちに迎え入れられることです。そして主イエス・キリストにお会いし地上での信仰生活を報告するのです。

【高齢者の生き方とは】

 天国に入るまでの高齢者の生き方は、コリント人への手紙第二4章16節の御言葉、「私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。」の一節に凝縮されています。

 

<体力が衰えてくる>

 この御言葉のように高齢者は、次第に体力が衰えて行くなか、内面はいよいよ輝きを増してきます。

 私たちの体は健康期、次にフレイル期(すなわち虚弱期)、そして介護期の経過を経て死に至ります。それはちょうど赤ちゃんの成長と逆の道をたどって行くと言われています。赤ちゃんは生まれると母乳を飲み、ひたすら寝る生活からハイハイをしてヨチヨチ歩きをし、それから自分の足で歩くようになります。

 高齢者はその逆で、次第に足腰が弱くなって歩けなくなり、車いす生活を経てベッドで横になる生活となります。その後、介護生活となりひたすら寝る状態が続き、最後には食物を一切受け付けなくなって、ただ水だけ飲むようになり、そして静かに息を引き取って行きます。

 

 

 

 

 

 

 

<老化と死は誰でも訪れる>

 身体の衰えは誰にでも訪れるものです。老化と死は誰でもみな平等に起きます。

自分だけは起こらないということはありません。

 伝道者の書3章19節~20節に「人の子の結末と獣の結末とは同じ結末だ。これも死ねば、あれも死ぬ。両方とも同じ息を持っている。人は何も獣にまさっていない。すべてはむなしいからだ。みな同じ所に行く。すべてのものはちりから出て、すべてのものはちりに帰る。」

とあります。

 高齢者がいつまでも元気で生きられるとは限りません。いずれ私たち高齢者は、どこかの時点で「死んで、よみがえって天の御国に入り、主イエス・キリストの御前に立つ」という現実を覚悟しなければならないのではないかと思います。

<体は衰え内面は成長する>

 ちょっと本筋から外れましたが、では体力が衰えるとは具体的にどういうことでしょうか。それは今までできたことができなくなるということです。それは、また年と共に体のあちこちに痛みや不具合、病いを抱えるようになることでもあります。

 そうすると、今まで以上に細心の注意を払い慎重に行動するようになるでしょう。自分の体の具合や外からの情報を多く集めて自分がどう動くかをよく考えるようになるでしょう。例えば天気情報をよく聞いて、暑さ寒さが体にどんな影響を与えるかをまず考えます。これは、つまり動作がのろくなった分、内面が鋭敏になり、より繊細になっていくことでもあります。衰えてきた体を内面によって補正しながら過ごすようになり、思うように動けなくなってくる身体に反比例するかのように内面が今まで以上に豊かになってきます。

          

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<内面が次第に輝いてくる>                                  

 高齢者は年を重ねるにつれ精神的に生きることが自然な姿のように思います。年齢と共に肉体が衰えて行くのに伴って、内面がいよいよ豊かになっていき、想像力も洞察力も共感力も深まっていくようです。

 高齢者の内面性を長年見てきた方は、老いて行けばいくほど内面は子供のようになり、最後は赤ちゃんのように純粋な心になって天に帰って行くと言います。それは、まるで天使のようだとも語っています。

 高齢者は内面を豊かにすることを意識的にする必要があります。高齢者は趣味や自分の好きなことをやりなさいと言われますが、これは趣味や好きなことを通して心を耕したり、精神を養ったり、魂を豊かにすることだと思います。

 では高齢者のクリスチャンにとって内面を豊かにするとはどういうことでしょうか。私たちが、世のわざを終えて、天に昇って迎え入れられる大いなる御国は、主イエス・キリストを中心として祈りと賛美に満ち溢れた王国です。ですから、この許された地上の生活を御言葉と祈りと賛美によって魂を豊かに押し広げることが、何より御心にかなうことではないかと思います。これは、まさに御国で主イエス・キリストにお会いするための備えでもあります。

  では私の場合はどうかというと、御言葉については御言葉を通して幻を見ることが習慣となりました。1994年聖霊に導かれて数々の幻を見たことをきっかけとして、御言葉から与えられる幻によって聖書を読み解いていくことが習慣となりました。私はこれを「道行」と呼んでいて、御言葉からくる幻に導かれて聖書の世界に入って自由に旅をしています。

 祈りと賛美は声に出さないもので、沈黙の中で内なる聖霊に導かれて行う祈りと賛美です。散歩していると自然と内側から祈りと賛美が湧き上がってきて楽しくなります。心の中で祈ってるときは、祈ってる相手を思い浮かべたり、祈りが実現した様子をありありと思い描いています。

 また交わりも魂を豊かにします。私は今年からカレブの会に導かれてリモートで交わる機会が与えれました。2年半前に佐世保に移住したときは、教会以外にクリスチャンの交わりはないだろうと思っていただけに、ネットを介してクリスチャンと交われるとは思ってもみませんでした。まさに主の素晴らしい恵みです。

 

 

 

 

 

 

 

 

【私の日常生活】

<日常を楽しむ>

 それでは、私なりにこの高齢期をどう過ごしているかをお話ししたいと思います。

 伝道者の書5章18節に「見よ。私がよいと見たこと、好ましいことは、神がその人に許されるいのちの日数の間、日の下で骨折るすべての労苦のうちに、しあわせを見つけて、食べたり飲んだりすることだ。これが人の受ける分なのだ。」という御言葉あります。この御言葉に従って「日常を楽しむ」という言葉をキーワードにして毎日を過ごしています。

 

<大枠を決めた日常生活>

 私は日常生活の大枠をだいたい決めていて、これを忠実に行って規則正しい生活を送っています。

朝は7時半ごろに起きてNHKの朝ドラを見ながら朝食をとります。食事後、妻と一緒に聖書を読んで今日のために祈ります。今は「ローマ人への手紙」を読んでいます。それが終わるとラジオ体操とちょっとしたスクワッチをして、部屋を片付けて掃除をします。

 掃除した後は新聞を読みます。私は長崎新聞を取っていますが、この新聞は地方新聞にもかかわらず内容が豊富で情報量も多く、読むところが満載で結構楽しく読んでいます。

 12時になってランチを取り、午後1時過ぎに散歩に出かけます。散歩コースは佐世保港周辺の2㎞~3㎞を40分~1時間かけて歩いています。散歩しながら心の中で御言葉を復唱したり、天に向かって喜びの祈りや湧き上がってくる賛美に魂を委ねます。今カレブの会の40日祈祷課題を覚えて祈っています。

 また、散歩の途中、佐世保港に停泊している護衛艦や米軍艦船、フェリーや大型クルーズ船などを観察しながらデジカメで写しています。この定点観察を入り口として、国の安全保障や国際間のパワーバランスについて広く学んでいます。その他にも雲の動きや波の様子、風の動きなどから気象現象についても観察しています。

 散歩を終えて家に帰って一息つくと、今度はパソコンを開いて仕掛中の作業をします。写真や動画を整理したり、メールを打ったり、未整理の作業や課題をまとめています。午後6時過ぎに風呂に入り、7時のニュースを見ながら夕食をいただきます。

 夕食後はテレビの報道番組を見ます。今はBSの「報道1930」か「プライムニュース」を見ています。この番組に出てくる専門家や有識者の話を聞いて、これからの国際情勢を整理して自分の頭で考えています。有識者と私の考えとを相互にチェックして、これからどのような世界になるのか、将来の我々の生活にどう影響するのか、目に見える現象の背景に働いている神の御心などについて考えています。

 これが終わると読みかけの本を読んだり、妻と聖書を読んでお祈りをしたりして、10時からの「報道ステーション」を見てから床に就きます。毎日単調で代り映えしない生活ですが、日々内容が変わるため飽きることはありません。

<魂を豊かにする言葉使い>

 また、日頃から魂を豊かになることを心掛けています。言葉は霊であって、口から出て行った言葉はいずれ自分のところに返ってきますので、できるだけ良い言葉を使うようにしています。

 私たちは声掛けや見守りを大事にしており、「ありがとう」「感謝です」「愛しています」、「ごめんなさい」、「主がと共におられますように」などの言葉を折に触れて口にするようにしています。今日1日、主の御前でほがらかに楽しく快適に過ごすことが出来れば感謝です。

 

【まとめ】

 高齢者の生き方は、ひと口に言って「存在の生」だと思います。若い時のように何かを目指して自己実現的に生きるとうよりは、年と共に衰えてくる身体をいたわりながら、「存在」として生きることだと思います。

 高齢者が「そこに存在しているだけで価値がある。」、「そこに居るだけで安心だ。」、

「おじいちゃんの傍にいるだけで輝いてくる。」というような生き方が出来れば幸いだと思います。

 私たちクリスチャンはいずれ天の御国で再び会うことになります。私たちは、肉の命が終わった後、よみがえって天に昇り、御国において栄光の姿となって、また再会することになります。

 ですから、今このような交わりが天においてもそのまま永遠に続くことになります。お互い天国に入ったときには、栄光に変えられた姿で再会して共に喜び合いたたえ合いましょう。

佐世保港にて
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健全な身体を作り整えるために行うのが体操なら,魂を活性化させ神の意志との直接的な接触をめざすのが霊操である.イエズス会の創始者イグナチオ・デ・ロヨラ(1491頃―1556)が,自らの神体験を基に著した,実践的かつ詳細な霊操指南の書.自由と主体性を重んずるこの近代的な修行システムは,現代も多くの人々に実践されている.
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佐世保港にて
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