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第5回の報告

​2023年7月1日(土)
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​本日のスケジュール

1− 開会の祈り           

2−25分 スピーチ (小川 吾朗さん)

   〜テーマ : 「”い・や・さ・か” 家の人々へ証し」

3− 近況報告 (一人5分)    

4− グループに分かれて祈り合う (15分)  

  〜終了後、再度全員で集まります〜特別なトピックスがあれば報告して下さい

5− 閉会の祈り     

(1) 小川吾朗さんの人生の歩み

1. 増田吾朗」の時代:1942年から40年間 〜「哀歌3:22,23」の時代

  主のあわれみにより、増田家に最初に福音の種が蒔かれ、実を結び始めた時代。私自身罪人であった“にもかかわらず”神の愛とあわれみによって救われ、用いられ、恵みが溢れた時代でした。

      <実に、私たちは滅び失せなかった。主のあわれみが尽きないからだ。それは朝ごとに新しい。

       「あなたの真実は偉大です。・・・」>哀歌3:22,23

  昭和17年に沼津市に生まれる。18歳で「味の素KK中央研究所」に勤務。20歳から3年間マニラ勤務となった。帰国後、大きな方向転換。東京農業大学造園学科入学。国際ナビゲーターに出会う。罪からの解放を求め、23歳でイエスを信じ、救われる。

  26歳の時、自分の信仰に疑問をいだき、丹沢山に入り、『行って実を結びなさい』(ヨハネ15:16)の主の召しを受ける。27歳の時、国際ナビゲーターのアジア、中近東、ヨーロッパでの働きを視察、帰国後、国際ナビゲーター宣教に加わる。

  28歳で、小川早苗と結婚。イリノイ大学宣教に6ヶ月加わり研修を受ける。30歳の時、宇都宮大学での学生宣教開拓のため、東京から宇都宮へ。4年後、4名の宇大卒業生と共に仙台へ。そこで東北大、宮城教育大、東北福祉大学で宣教を展開。6年後、再び東京へ。日本ナビゲーターの代表としての働きが始まる。

  この時、病んでいる妻の両親(小川)を長崎から招き、一緒に住むことにし、同時に、両親の救いを願い、家族5人全員で「小川家」に入籍。

      <増田家では弟が救われ、彼もまた、ナビゲーターのスタッフとなる。現在、牧師として仕える。>

2. 「小川吾朗」の時代:1982年から40年間 〜「2コリント12:9」の時代

  弱さ“にもかかわらず”弱さを通してキリストの恵みが十分に現わされた時代でした。

       <しかし主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからで

           あ る」と言われました。ですから私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで自分

           の弱さを誇りましょう。>2コリント12:9

  東京時代の12年間、妻の両親を含め7人の生活は大変だったが、車椅子生活の義父の世話しながら、彼らを“ありのままで受け入れ、尊敬し、仕えること”を通し、両親もまた、主のあわれみによって救われた。救いはさらに妻の妹夫妻と夫の両親へと広がっていった。同じようなことは増田家でも起こり、両親が救われ、兄弟たちにも広がっていった。

  日本ナビゲーター代表としての働きは海外、国内での宣教協力、研修生の訓練、神学の学び等超多忙であった。義父を天に見送った後、妻は肝炎を発病、私は膠原病を患い、多くの試練を経験。「弱さの津波」が押し寄せてきた。しかし、これもまた恵みへと変わった。病が小康状態になり、私たちは退職されたタスマニアの医師ジョーンズ夫妻の招待を受け、彼らの家に二か月間滞在、休暇をいただくことができた。この時、彼らの生き方を通し、与えられたのが「カレブ・インターナショナル」設立のビジョンだった。

  帰国後、ナビゲーターの代表を辞し、再び宇都宮へ。しかし、宇都宮での三年目、今度は難病「ネフローゼ症候群」を患い、その後20年かけて完全快復。この間、妻の早苗は「肝臓がん」の手術を三回。夫婦で難病を乗り越えてきた。この闘病中、主は「カレブの会」を立ち上げる時を示され、17年前の2006年に星野隆三さんと出会い、共に立ち上げた。

  重い病を夫婦で背負いながらの宣教であったが、主は私たち夫婦の弱さをも益とかえ、福音宣教の大事な鍵「あわれみの宣教、寄り添う宣教」を教えてくださった。特に、こうした状況の中で、家族、親族に仕え続けた。私たちの変化が、彼らの心を変え、福音に開かれ、救いにつながっていった。これは今なお続いている聖霊さまの働きである。

  75歳で国際ナビゲーターを退職、現在は「カレブの会」に軸足を移している。退職後、私は新たに「パーキンソン症候群」を患い、今も続いている。

 「小川時代」の40年間の特徴は「弱さゆえに主の恵みが完全にあらわされている時代」(2コリント12:9)といえる。一方「増田時代」は「自分の力に頼りがちな愚かさを、主があわれんでくださり、恵みを注いでくださった時代」(哀歌3:22,23)であったと思う。

3. い・や・さ・か・吾朗」のその時まで 〜「マタイ7:12」の日々

  80代に入り、いつ主が私を召されてもおかしくない「メメントモリ」(死を覚えよ)の日々。召されるまでの日々は、この「い・や・さ・か」の祝福を味わうことのできる恵みに満ちている。この御国の約束を共有している人々、すなわち「い・や・さ・か」家の人々とのあらゆる交わりの場は、私たちの恵みの場と変えられている。

 「い・や・さ・か」家の人々とシンプル(黄金律)に生き、シンプルに、くりかえし、さまざまな仕方で「い・や・さ・か」の福音を伝えていく日々でありたいと願っている。

  ホイヴェルスの詩「最上のわざ」の一節にある「老いの重荷は主の賜物」の意味が少しずつ分かってきたようなこの頃である。こうして今も続くイエス・キリストの福音理解の旅は私の最高の旅の楽しみである。

       「ですから、人からしてもらいたいことは何でも、あなたがたも同じように人にしなさい。これが律法

            と預言者です。」マタイ7:12

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(2) 小川吾朗さんのメッセージ

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​今回の花の撮影者:小川吾朗

​(3)書籍の紹介

*シンプリー・ジーザス
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著者:N.T.ライト
     セント・アンドリュース大学神学部 新約学/初期キリスト教学教授
出版社:あめんどう
​定価:本体2,750円+税
〈「まえがき」より抜粋〉
本書のタイトル『シンプリー・ジーザス』は、先に執筆した『シンプリー・クリスチャン』(邦題『クリスチャンであるとは』)との連続性を意識して名付けました。しかしシンプルにといっても、色々な意味があります。
私はシンプルな問いに対し、さまざま側面をまとめ上げながら、できるだけシンプルに答えようと決意しました。私の考えていることが、心からイエスへの道を知りたいと願う人、実際に人として歩んだイエスに近づきたい人、そしてイエスを通じて神に出会いたいと願い、また「イエスに従う」ことの意味が実感できる人生のあり方を求めている人、そういう人たちに役立つことを願いながら。
*死を友として生きる
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著者:ヘンリー・ナウエン (1932〜1996)
     現代人の孤独や苦しみに届く言葉を語った、20世紀を代表するキリスト
     教会の霊的指導者、カトリック司祭
出版社:日本キリスト教団出版局
​定価:本体2,200円+税
死は、忌避すべきものではなく、「神に愛された者」として成長していくための大切なステップなのだ。聖書の視点で死とケアを考える『最大の贈り物』と、交通事故の経験を踏まえて死の意味を思いめぐらす『鏡の向こう』の2作を収録。『鏡の向こう』は本邦初訳。

【目次】

第1部:『最大の贈り物』~死と親しむ

第2部:『鏡の向こう』~死に備える

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