第3回の報告
2023年5月6日(土)

本日のスケジュール
1−賛美 (輝く日を仰ぐとき)
2−開会の祈り
3−15分 ショートスピーチ (門谷晥一さん)
〜長い信仰生活を振り返って思うこと、そして80代の歩みについて
4−近況報告 (一人5分)
+棚沢さんから chatGPT についてのコメント(15分)があります
5−グループに分かれて祈り合う (15分)
+終了後、再度全員で集まります〜特別なトピックスがあれば報告して下さい
6−閉会の祈り
(1)門谷さんの証しを掲載します
「長い信仰生活を振り返って思うこと」


私は信仰生活50年の内の初めの30年間をレイマン(信徒)として、その後の20年間を、神学生時代を含めて現在まで、献身者(牧師)として歩んで来ました。現在私と妻は共に牧師として、又娘たち夫婦も共にOMの宣教師として、私たちの教会で、更に息子も牧師として古川福音自由教会で、フルタイムで主にお仕えしています。
レイマンの時には私がサラリーマンで妻が専業主婦でしたので、現在のように私たち夫婦のみならず息子や娘夫婦までもが、牧師や宣教師というフルタイムの献身者として主にお仕えするようになるとは全く予想していませんでした。取るにたりない私や家族を、主はただ恵みによって、御自身の働き人となって信徒の方々と共に成長する役割をになう献身者に導いて下さったことを覚え、今主に心から感謝しています。
長い信仰生活を振り返りますとき、本当に色々な思いが心に浮かびますが、今日は時間も限られていますので、特に強く思わされています一つのことのみお話しさせていただきます。それは、救われた頃の初期の信仰体験がレイマンとしての歩みだけではなく、牧師としての歩みにもかなり大きな影響を及ぼしてきたということです。
私は27歳の時に、勤務先のコマツから派遣されて、米国ミネソタ大学の大学院に留学しました。留学中に長女が誕生したのですが、心臓疾患が見つかり生後4か月の時に大学の病院で心臓手術を受けました。大きな病院でしたので安心しておりましたし、手術も成功したのですが、術後のケアが悪く、酸素不足から重度の脳障害を起こしてしまいました。その結果彼女はしばらくの間、死線をさまよいました。
最終的に命はとりとめたのですが、植物人間に近い状態となって私たち夫婦の元に帰ってきました。目も見えず、口もきけず、勿論体を動かすことも出来ず、かすかに微笑むことや物を飲み込むこと位しかできなくなっていました。本当に大きな試練でした。このことを通して、私たち夫婦は信仰告白に導かれ、1973年に米国のバプテスト教会で一緒に洗礼を受けました。
長女は6歳の時に天に召されましたが、それまでの6年間の彼女との生活はとても大変でした。例えば食事の時には、毎回食べ物をミキサーで液状にして、口から流し込まなくてはならず、時間や忍耐が必要でした。それでも音をたてると、かすかに微笑んで喜びを表すなど、私たち夫婦にとっては天使のような娘と過ごした時間は、かけがえのないものであり、喜びでもありました。
又、本当に弱く何もできないものに寄りそって共に生きることや、弱いものを愛するとはどういうことか等を学ばされた、決して忘れることのできない貴重な時間でもありました。彼女が召されたときは本当に悲しかったですが、献児式を受けていましたので、天の御国に帰って行ったと思い、御国を本当に近くに感じたことを鮮明に覚えています。


この6年間に及ぶ長女との生活及び死という体験が、その後の私たち夫婦の伝道生活にも大きな影響を及ぼしたように感じています。その意味で、長女はまさに私たち家族の一粒の麦となってくれたと思い(ヨハネ12:24)、娘に感謝しています。
影響を受けたと思われます一番大きなことは、人に寄り添い、喜ぶものと共に喜び泣く者と共に泣くような(ローマ12:15)親密な交わりを持ち、まさに神の家族として牧師も信徒も主にあって共に成長する、あたたかな信仰共同体なる教会を形成するビジョンに導かれたことです。
ではそのビジョン実現のために、どのように導かれたのかを簡単にお話しさせていただきます。先ず神学校を選ぶ時に、人に仕えることや人と共に生きること等の訓練を受けることが必要との思いから、寮がある関西聖書学院という実践的な神学校を敢えて選ぶように導かれました。この神学校では、牧師として必要な人間関係における大切な多くのことを体験的に学ばされました。
又60歳を過ぎて牧師とならせていただいたこともあり、他の神学校を卒業した妻とペアで牧師となるという選択に導かれました。根底に、二人で一人という思いや、何でも話し合い助け合いながら牧会をしたいという、一緒にやって行きたい思いがあったためです。神学校での訓練と妻の助けがなければ、牧会初期の苦しい時期を乗り切れなかったと思い、改めて主の導きに感謝しています。
自宅のある団地の方々を伝道の主対象として、単立の家の教会を設立し、名前をアガペー・コミュニティ・チャーチとつけました。アガペー・コミュニティということばに、教会は神の愛に根差した信仰の共同体であるという思いと、教会は地域という共同体の一員でもあるべきという思いの両方を持たせてそのように名づけました。
スタートは自宅のリビングでの家の教会でしたが、9年前に近隣に、礼拝堂に最適な家に主が導いて下さいました(写真1)。会堂の真ん中に細長い大きなテーブルを置き、それを囲むようにして椅子を並べて礼拝するようにしました。これは礼拝の後で直ぐに交わりや愛餐が出来るよう配慮したためです(写真2)。人は共に食し、語り、泣き、笑うこと等によって、心を開いて交わることが出来ると思っていましたので、本当に良く愛餐や交わりを持ってきましたし、礼拝後にペアで祈り合うことも実践してきました。これらは使徒2:42に「彼らはいつも、使徒たちの教えを守り、交わりを持ち、パンを裂き、祈りをしていた」とある初代教会のイメージがいつも念頭にあったためです。尚、星野隆三様には教会の立派なパンフレットを作っていただき感謝でした。
写真1


信仰の共同体は天の御国に行く時まで続いているとの思いから、教会設立後の早い段階で教会のお墓を富士霊園につくりました(写真3)。それには、天の御国で亡くなった娘に会えるとの思いがいつも根底にあったことも影響していました。お墓をつくる際、お墓を用いる宣教を意識して、70体入る大き目のお墓にしました。
教会の近隣の人と良き関係を持つことが大切と考えそのように心掛けた結果、皆さん好意を持って下さっており、良好なお交わりが保たれていることを主に感謝しています。例えば、直ぐお隣の人が教会の立派な看板をトールペイントで書いて寄贈してくれました。
又40年近く引きこもっていた教会の真向かいの青年が救われて、教会周囲の庭の管理をしてくれるようになりました。お菓子や果物などのプレゼントを持ってきて下さる方々や教会の集会に参加して下さる方々もおられ、嬉しく思っています。クリスチャン新聞福音版の長年に亘る配布や、お一人一人のお顔を覚えての日々のお祈り等を、主が喜んで下さったのかと思います。
団地の方々との交流を持つために、お母さま方を対象とした「ママカフェ」、がん患者を対象とした「メディカルカフェ」、一般の方を対象とした「あったカフェ」等も行ってきました。又この他に、妻はダンス体操教室の先生を、私は詩吟クラブの役員を行っており、教室の生徒さんたちやクラブの会員さんたちに福音を伝えてきました。
小さな教会ですが、ルカ12:32の「小さな群れよ、恐れることはありません。あなたがたの父は、喜んであなたがたに御国を与えてくださるのです。」とのみことばに励まされながら、又主の哀れみと御愛及び教会の兄弟姉妹方や妻の愛に支えられながら、約16年間このような教会形成をさせていただいてきました。今主に心から感謝しています。
写真2
写真3
「80代の歩みについて」

今年の小川吾朗さんからの年賀状に、80代をシンプル(黄金律)に生きる、又80代の恵みの特権は死を臆せずに語れることである、等の素晴らしいことばが記されており、励まされました。又共感も覚えました。
私は最近、身体機能や記憶力や認知力などの衰えを感じており、行動範囲も狭くなっています(Ⅱコリント4:16)。そのせいか聖書は一つ一つのみことばというより、黄金律(マタイ22:37~39)のような核心的なみことばが、より心に浮かんできやすくなっていますし、聖霊を通して直接的に神やイエス・キリストと交流させていただくことも多くなってきているように感じています(Ⅱコリ3:3,ヨエル2:28~29,エゼキ36:26~27)。
又、見えない天の御国と見えるこの地上の国はつながっているという思いや見えない世界へのあこがれ(ヘブル11:1、Ⅱコリント4:18、ヨハネ8:56)も徐々に強くなってきていると感じています(黙示録4~5章)。これには、墓前礼拝を行っていますことや葬儀の司式を時々させていただいていること等も影響しているかと思います。
葬儀はこれまでに10回近く司式をさせていただき、内3回は最近亡くなられた方の葬儀でした。これらの司式を通して、人の死に方は本当に様々であることを改めて覚えさせられています。例えば、一人の方は、教会を設立した初期の頃に洗礼を受けられて以来、熱心に教会生活を行ってこられた80歳の姉妹です。何の兆候もなく全く突然天に召されましたので、本当にびっくりしました。彼女は召天される約3年前に、がんで闘病中のご主人が救われて、その後間もなく亡くなられる経験をされ、以来天の御国への希望を良く語っておられました。ですから葬儀は希望に満ちた本当に良い式となりました。
又もう一人の85歳の姉妹もご自宅での3年間の癌との戦いを終えられて、平安の内に天に召されました。病床洗礼を受けられ、賛美を喜ばれ、天の御国のことも良く話しておられましたので、平安の内に葬儀を執り行うことが出来感謝でした。
更にもう一人の85歳の女性は、教会員である兄弟の奥様で創価学会の信者の方でした。すい臓がんにかかられて約半年位で亡くなられましたが、死期が近づいてきた時に、「怖い、助けてー」と叫ばれたようです。私たち教会員はこの方の癒しと救いを祈っておりましたし、この兄弟から妻の叫びはイエス様へ助けを求める叫びだったと思うので、キリスト教の葬儀で送りたいとの申し出があり、教会で葬儀を行わせていただきました。
葬儀では、救われて天の御国に入っていけることの素晴らしさや栄光の姿に変えられることの希望、又天の御国に行くために肉体の死は不可欠であること、等を会衆にお伝えするようにしていますが、私自身がいつもそのことを再確認させられています。

天の御国への希望に関しては、韓国CCCの総責任者であった金俊坤牧師が言われた言葉を、私は忘れることが出来ません。彼は戦争の時に敵軍に村が襲われ、村人全員が虐殺された時に、多くの死体の下敷きになったお陰で、九死に一生を得たという人です。彼はこの死線を越えるような状態の中で次のような幻を見たそうです。
「赤ちゃんは生まれる時にお母さんの小さな産道を通ります。そのとき赤ちゃんはもう死んだかと思う位大変な苦しみの状況に陥りますが、その産道から出て産まれた瞬間に、父親の嬉しい大歓声と歓迎の中に入ります。
それと同じように、私たちは死ぬ時にこの世と天の御国の境を通り抜けます。そしてこの境を通り抜けるときに大変に苦しい状況になります。しかし一旦そこを出て天の御国に入ったとたん、神様や先に召された聖徒たちの大歓声と歓迎の中に入るのです。それは本当に祝福ですね。」
今回改めて、80代をどう歩むかについて考えさせられました。主はこれまで年齢や時代や体力等に応じて最善に導いて下さったと思いますので、これからも最善に導いて下さると信じつつ、又ヨハネ11:25~26に「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。
また、生きていてわたしを信じる者はみな、永遠に決して死ぬことがありません。」とありますように(ヨハネ14:1~3、ピリピ3:20)、御自身が用意しておられる天の御国への階段を、アブラハムの信仰に倣いつつ(ヘブル11:1,11:13)、一歩一歩昇って行きたいと願っています。
具体的には、80歳を契機として牧師の役割を徐々に娘夫婦に委ねつつ、妻や子供や孫たち、又教会の兄弟姉妹たち、更に近隣の人たちや詩吟クラブの人たち等と共に生きる中で、復活の希望と天の御国に入る喜びに生かされながらそれを伝えること、死に行く人や病んでいる人の霊的な痛みに寄り添うこと等を、生かされている限り主にあって行わせていただきたいと願っています(詩篇92:14)。
ただ『最後まで走り抜け』という本に、「聖書に登場するリーダーたちが親しく神の近くを歩み、神に語られる人生を送りながら、最後の一息まで主に喜ばれる走り方をできたリーダーは30%以下である」とあり、又ピリピ3:13-14にも「兄弟たち。私は、自分がすでに捕らえたなどと考えてはいません。ただ一つのこと、すなわち、うしろのものを忘れ、前のものに向かって身を伸ばし、キリスト・イエスにあって神が上に召してくださるという、その賞をいただくために、目標を目指して走っているのです。」とありますので、信仰の生涯を天の御国を目指して最後まで走りぬくことが肝要と自戒しています。
孫やひ孫らが神のために働くのを見、4世代を含む家族、私たち夫婦、友人、知人と共に聖会を開けるようになるという夢を見つつ、人生を全うできればと思います (ヨエル2:28) 。
